1810年代のポーランド ウィーン体制でロシア皇帝が国王に

1820年代のポーランド

 20年代のヨーロッパは、ウィーン体制下にあった。ウィーン体制下のポーランドは、ロシア皇帝がポーランド国王になった。

 そのようなポーランドで育ったのが、音楽家のショパンである。

 このポーランドが、30年の暴動を引き起こす。

1810年代の国際情勢

 日本は、江戸時代。徳川家斉の大御所政治が展開。景気が良く、江戸を中心とした化政文化が花開いた。

 中国は、清王朝後期。

 ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン体制が構築された。

ワルシャワ大公国

 ワルシャワ大公国は、ナポレオン戦争で成立した国である。プロイセンが敗北した際に、ポーランドのプロイセン領が独立した。

 ロシア遠征の際に先陣を切ったのがワルシャワ大公国軍である。その背景には、ポーランド分割でロシアに奪われた地域を奪回することにあった。

 しかし、ロシア遠征は失敗。ロシア領ポーランドはそのままになった。

ウィーン体制のポーランド

 ナポレオン戦争が終結。ナポレオンが建国したワルシャワ大公国は、敗戦国となった。

 旧プロイセン領であったワルシャワ大公国の大部分は、ポーランド立憲王国に変わり、ロシア皇帝が国王が兼任した。

 プロイセンは、ポーランド分割で獲得した地域の大部分を事実上、ロシアに奪われた。その見返りに受け取ったのがライン川流域のラインラント地方であった。