紀元前7世紀以前のメソポタミア文明①

 メソポタミア文明は、東西に分けて見ていこうと思います。前半は、東側で現在のイラン・イラクの歴史をみていきます。次回は地中海沿岸(シリア、トルコ、ギリシャ、イタリア)の歴史をみていきます。

イランとイラクはどんなとこ?

ペルシア(イラン)

 ペルシャは、中東の北東部にあたる地域で、現在のイランに当たる地域である。北東には中央アジア、北西はインドに接している。北方からインド=ヨーロッパ語系のペルシア人が多く住んでいる。

メソポタミア(イラク)

 メソポタミアは、イラクを流れるチグリス川とユーフラテス川という2つの川の流域である。2つの大河は肥沃な大地を生んだ。しかし、砂漠や高い山脈がないため多くの異民族の侵入を受ける地域でもあった。

アッシリア帝国崩壊後の世界

新バビロニア王国(イラク)

 7世紀末、アッシリア帝国が滅ぶとメソポタミア(イラク)とシリアには新バビロニア王国が誕生した。

メディア王国(イラン)

 7世紀末、アッシリア帝国が滅ぶとイラン高原にはメディア王国が成立した。このメディア王国からアケメネス朝ペルシャが登場する。

アッシリア帝国

 アッシリア帝国は、紀元前2千年紀初頭に北メソポタミアに成立した。紀元前16世紀ごろにはミタンニ王国の支配下に入った。

 紀元前9世紀、ヒッタイトから製鉄技術を学び、鉄製戦車や騎兵隊を使うようになった。

 紀元前8世紀半ば、周辺諸国を征服していく。732年アラム人のダマスクスをを征服。729年バビロニア王国を征服。722年はブライ人のイスラエル王国を征服。ユダ王国を朝貢国とした。アッシリア帝国は、自由農民や奴隷で構成されていた軍隊は職業軍人の軍隊に代わった。

 紀元前7世紀、イラン(エラム人)を征服。その後、アッシリア帝国は、エジプトへ侵攻した。63年エジプトを征服した。アッシリア帝国は征服地の諸民族を首都ニネヴェに連行した。これによりニネヴェは国際都市となった。このニネヴェには世界最古の図書館が作られた。また、駅伝制を導入。帝国内の交通を整備した。

 紀元前7世紀末(612年)、被征服民の反抗で崩壊した。

小国分裂期

 ヒッタイトがバビロニア王国を滅ぼすと、メソポタミア(イラク)には多くの国が誕生した。メソポタミア南部にはカッシート人が、メソポタミア北部にはミタンニ王国(紀元前16世紀建国)が建国された。

バビロニア王国

ヒッタイトに滅ぼされる

 紀元前17世紀半ば、小アジア(トルコ)にヒッタイト族が国家を建設。彼らは強力な鉄製武具を使用した。

 紀元前16世紀初頭、ヒッタイトは、メソポタミア(イラク)に侵入。バビロニア王国を滅ぼした。

ハンムラビ王

 紀元前18世紀初め、アムル人がメソポタミア南部に侵入。バビロニア王国を建国。

 紀元前18世紀頃、バビロニア王国でハンムラビ王が即位。大規模な治水灌漑工事を実施。そのために、法による強力な政治体制を作ることが必要であった。その一環で作られたのが、ハンムラビ法典である。

エラム人(イラン)

 このころのイランはどのようになっていたのだろうか。

 紀元前22世紀、イランにエラム人国家が成立した。イランの語源はエラムからきている。紀元前12世紀中ごろ、メソポタミア(イラク)へ侵入。カッシートを滅ぼした。

 紀元前7世紀、オリエントを統一したアッシリア帝国によって滅ぶ。

 

ウル第3王朝

 紀元前21世紀末、アッカド人が撤退したメソポタミア(イラク)南部にシュメール人国家が復活した。ウル第3王朝である。

 ウル第3王朝は世界最古の法典シュメール法典を作り、裁判記録などの文書を作成保管していた。このころから官僚制度が整備された。

 ウル第3王朝は、紀元前21世紀末にイラン人(エラム人)によって滅んだ。

アッカド人

 アッカド人はセム語系の民族である。メソポタミア(イラク)北部を拠点にしていた。

 紀元前23世紀初頭、アッカド人はメソポタミア(イラク)南部(ウル王朝)へ侵攻。ウル王朝を征服し、メソポタミアを統一した。

 紀元前22世紀半ば、アッカド人国家は異民族の侵入により崩壊した。

ウル王朝

 メソポタミア文明は、イラクの南部(チグリス川とユーフラテス川の下流域)から始まった。

 メソポタミアの肥沃な大地は、余剰農産物を生んだ。これにより、農業以外の職業も登場した。紀元前3000年頃には、神官・戦士・職人・商人などの数が増え、村は都市となった。

 紀元前2700年頃になるとウルやウルクなどシュメール人(民族系統不明)な都市国家が誕生した。都市国家は王を中心とした階級社会が成立した。都市国家間も貧富の格差が生まれた。優勢な都市に富が集まり、壮大な神殿などが作られた。これをシュメール文化という。

 紀元前24世紀、メソポタミア南部のシュメール人の都市国家群はセム語系のアッカド人に征服された。アッカド人は、シリアからメソポタミアにかけての都市国家をまとめたと領域国家を成立させた。

シュメール文明

 メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川の下流域で始まった。紀元前3500年頃から灌漑農業が始まった。人材が急激に急増した。神殿を中心に数多くの大村落が成立した。文字が発明され、青銅器が使われ始めた。