12世紀の朝鮮半島 金王朝と高麗王朝

 12世紀(1101年から1200年)、日本では武家の平清盛が太政大臣まで上り詰めた時代である。この時期、武士などの軍人の発言力が高まった。しかし、この現象は高麗王朝でも起こっていた。今回は、武官の崔氏一族が政治の中枢へ向う歴史をみていきます。

武人政治へ

 朝鮮半島の貴族は、両班(やんばん)と呼ばれる。この呼び名は高麗王朝時代から始まった。やんばんとは、2つの列という意味で、儀式の際には、国王の前に文官と武官が列をなしたことが由来となった。

 11世紀の高麗王朝では、武官よりも文官の方が優位に立っていた。しかし、12世紀に入ると状況が変わった。北方で女真族が金王朝を成立させたからである。

 朝鮮の北方では金王朝が何度も高麗へ侵攻した。そのため、武官は北方で防衛に当たった。武官の活躍は都開城にも伝わった。武官の人気が高まっていた。70年、一部の武官が軍事クーデターがおこった。これにより、政治の中心は武官に移った。

 しかし、武官同士の権力闘争が展開された。これに勝利したのが崔氏一族であった。

金王朝の成立

 朝鮮半島の北には、女真族が生活していた。この女真族は、17世紀に、清王朝を建国し中華皇帝として中国大陸を支配してた。

 15年に金王朝が成立。25年には契丹族の遼を滅ぼす。27年靖康の役で華北を統一した。北方の漢民族は女真族の支配を受けるようになった。一方で、南方へ逃れた一部の宋王朝の人々は、江南に逃れ南宋を建国した。