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日本史

2000年代の衆院選 小泉政権から民主党政権へ

09年08月 政権交代

リーマンショックと派遣社員

 08年9月、麻生政権が成立。臨時国会後、すぐに解散総選挙の予定であった。しかし、思わぬことが起きた。リーマンショックが起きたのである。これにより、景気が悪化。小泉政権時の派遣法改正で大規模な派遣切りが発生。その年の年末、野党の民主党は、年越し派遣村を設置。自民党政権を批判した。麻生政権も定額給付金で景気対策をしようとしたが、それでも改善しなかった。

 麻生政権は、任期満了(09年9月)が近づき解散へ踏み切った。公明党への配慮から都議選のある7月ではなく09年8月の解散とした。

 この頃、民主党は社民党と国民新党(亀井静香氏)と政策協定を結び連立政権の準備を始めた。

選挙結果 民主党政権へ

 民主党は、300議席に迫る大勝。政権交代を実現。鳩山政権が成立した。

選挙結果 自民党大敗

 自民党は、議席を半減する大敗。麻生総裁が辞任し、第一派閥の谷垣派の谷垣総裁が誕生した。

05年09月 郵政解散

郵政民営化

 03年参院選に敗北。安倍幹事長は退任。武部幹事長が就任した。小泉政権はこれに合わせて、郵政民営化モードにシフトした。経済財政政策担当大臣であった竹中大臣を郵政を管轄する総務大臣に就けた。この時、副大臣でだったのが後の菅首相である。

 では、小泉首相はなぜ、郵政民営化にこだわったのであろうか。それは、旧竹下派が持つ2つの票田を奪うことにあった。建設業界票と郵政票である。郵便貯金やかんぽ生命で集めた資金は特別会計として主として公共事業に使われていた。これにより、無駄な公共事業が多く行われた。

郵政解散へ

 05年05月、小泉政権は、郵政民営化法案を国会へ提出。自民党から多くの造反者が出た。亀井静香氏や野田聖子氏が衆議院はかろうじて通過した。しかし、参議院で否決。郵政民営化法案は廃案になった。

 05年9月、小泉首相は、衆議院を解散した。郵政解散である。投票日は9月11日、9・11テロの4年後である。

刺客

  郵政民営化法案に造反した議員に対して小泉氏は公認を出さないばかりか対立候補を擁立した。この候補は刺客と呼ばれた。当時の映画で上戸彩主演のあずみが影響していると思われる。

 その代表が、小池百合子環境大臣であった。小池大臣は、クールビズで人気を高めた。小池氏は、この時に選挙区を兵庫県宝塚市から東京都の池袋に変更した。このほかにもホリエモンや高市早苗氏などが刺客として送り込まれた。

新党

 造反議員は比例代表に参加するために浸透を結成した。小林興起氏らの新党日本や亀井静香氏らの国民新党が結党された。

03年11月 小泉政権の初選挙

期日前投票

 この選挙から、期日前投票が可能になった。それまでも期日前には不在者投票で投票は可能であった。しかし、手続きが煩雑であまり利用されていなかった。

小泉政権

 01年総裁選で、小泉政権が成立。小泉フィーバーで人気を高めた。小泉フィーバーはいったん落ち着いたが、02年日朝首脳会談で再び支持率を引き上げた。

民主党とマニュフェスト

 00年代になると、自民党と民主党の構図がはっきりしていた。もし小泉政権が成立しなければ、この選挙で民主党政権が成立したといわれている。

 98年、鳩山由紀夫氏、菅直人氏らによって結党。新進党の分裂により成立した。

 00年、小沢氏ら自由党が自自公連立政権から離脱。

 03年、民主党は、小沢氏らの自由党を吸収。鳩山・菅・小沢のトロイカ体制が成立した。

 総選挙が始まると、政権公約を発表。この時、民主党はマニュフェストと表現。

73年定年制

 小泉首相は、比例代表に73年定年制を導入した。96年の選挙区調整で比例単独になった中曽根元首相や宮澤元首相はこの選挙で政界を引退した。

 これにより、55年体制以前の政治家は黒海から姿を消した。

選挙結果 自民党 安定多数を確保

 与党は12議席減らしたが安定多数を維持した。自民党は単独で過半数割れしたので連立の保守新党を吸収した。保守新党には、二階氏や海部元首相が所属していた。彼らは自民党入党後二階グループを結成した。

選挙結果 民主党 二大政党制へ

 民主党は、過半数を確保できなかったものの40議席に増やした。

 一方で、社民党や共産党は壊滅的な敗北。議席数が1桁になった。