2000年代のフランス アフリカ系移民とシラク大統領

 2000年のフランス大統領はシラク大統領であった。01年アメリカで9・11テロが発生。アフガニスタン戦争、イラン戦争が起こる。イラン戦争ではフランスは反対を表明した。05年、アフリカ系移民による暴動事件が発生。
 07年、シラク大統領の後継としてサルコジ大統領が就任。リーマンショックが起こる。

フランス版小泉純一郎、サルコジ大統領

 07年大統領選挙。現職シラク大統領は不出馬を表明。中道右派のUMP(のちの共和党)のシラク大統領の後継のサルコジ大統領が就任した。サルコジ大統領は、ユダヤハンガリー移民の2世で、自家用ジェット機を持つほどの富豪であった。アフリカ系移民を要職につけるなどの抜擢人事を行った。過激な発言からフランス版小泉純一郎と呼ばれた。経済政策では、英米新自由主義路線を進めた。外交では、58年のド・ゴール主義(独自外交路線)を脱却し、NATOに完全復帰。一方でリビア・ロシアとの関係も重視し、独自外交路線継続した。シラク大統領の親EU政策は継承した。

 08年、アメリカでリーマンショックによる金融危機が起こる。これにより、経済のけん引役はユーロ圏に変った。09年、EU加盟国のギリシアで財政の粉飾決算が発生。急激なユーロ安が起こる。

スラム化したパリ郊外で移民による暴動事件

 04年、東欧諸国がEUに加盟。東欧からの労働者がフランスに流入した。翌05年の国民投票で欧州憲法反対され、批准できなかった。原因は外国人労働者増加による失業率の上昇である。同じ05年、パリ郊外暴動事件が起こる。暴動でに参加したのは、北アフリカ出身の移民の子ども世代。パリ郊外は、こうした移民の貧困層が多く住みスラム化していた。当時のフランスの失業率は23%であり、パリ郊外では40%に達する地域もあった。こうした背景が、暴動につながった。また、彼らの一部の中にはイスラム過激派に共鳴するものも現れ始める。06年のドイツFIFAワールドカップで準優勝を果たす。この時活躍したジダン選手の両親もアルジェリアからの移民であった。54年アルジェリア独立戦争の前年にパリへ移住した。

 シラク大統領と9・11テロ

 2000年、コンコルドがパリで墜落。大統領の任期が7年から5年に短縮される。

 01年、アメリカ911同時多発テロ事件が発生。イスラム過激派との戦いがここに始まる。アメリカは集団的自衛権を行使して、NATO軍でアフガニスタン侵攻を行う。

 02年、統一通貨ユーロに統合。ドルに対抗する新たな基軸通貨が誕生した。シラク大統領は再選した。与党の中道右派の政党が統合してUMPが結成された。

 03年、アメリカはイラク戦争を開戦。しかし、シラク大統領はイラン戦争を非難した。

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