ナポレオン戦争とは
18世紀初頭のヨーロッパは、ナポレオン戦争の真っただ中にあった。フランス革命後(18世紀末)に誕生したフランス皇帝ナポレオンに対してヨーロッパ各国が攻撃した戦争である。
第3回対仏大同盟
04年12月、ナポレオンはノートルダム大聖堂で戴冠式を行った。ナポレオンはローマ教皇から戴冠を受け、皇帝に即位した。これに激怒したのは、神聖ローマ皇帝であるオーストリア=ハプスブルグ家である。
そのころ、イギリスでは、反フランスの小ピットが政権に復帰した。翌05年8月、小ピットは、オーストリア、ロシアとともに第3回対仏大同盟を結成した。プロイセンはこの戦争に対して中立の立場をとった。
イギリスは、同05年10月のトラファルガー海戦で、フランス・スペイン連合軍を破った。
一方、同05年12月のロシア・オーストリア連合軍は、アウステルリッツ三帝会戦でフランスに大敗した。
第2回対仏大同盟
99年、ナポレオンはエジプトへ遠征した。これは、イギリスとインドの交通路を遮断する意味合いがあった。イギリスの小ピット首相は、これに対抗するためオーストリアなどと第2回対仏大同盟を結成した。プロイセンは、この時中立の立場をとった。
02年、イギリスで小ピット首相が失脚。