サダト政権が残した外交課題
サダト政権の外交方針は、親米・親イスラエルであった。これにより、ソ連とアラブ諸国との関係は悪化していた。ムバラク政権の80年代の外交課題は、ソ連とアラブ諸国との関係改善にあった。
84年には、ソ連と国交正常化。90年にはアラブ連盟に復帰を果たし、80年代の外交課題は達成された。
パレスチナ問題
アラブ協力会議と湾岸戦争
サウジアラビアがクウェートなどと湾岸協力会議を形成していた。88年にイランイラク戦争が終結すると石油の輸出を拡大させた。これにより、石油価格は大幅に下落した。
財政難のイラクのフセイン大統領は、財政再建のために石油価格を引き上げようとした。これにサウジアラビアなどがはんぱつした。89年、フセイン大統領は、サウジアラビアに対抗するため、イエメン、ヨルダンとともにアラブ協力会議を発足させた。エジプトのムバラク大統領もこれに参加した。
翌90年、イラクのフセイン大統領は、クウェートへ侵攻。サウジアラビアなど湾岸協力会議加盟国は、クウェートへ援軍を送った。
これに対し、アラブ協力会議のメンバーは分裂した。ヨルダンとイエメンは、サウジアラビアの行動を批判した。しかし、エジプトのサダト大統領は、サウジアラビアの行動に同意し、イラクへの非難決議を非難した。
そして、91年湾岸戦争へ向うのである。