紀元前7世紀以前のエジプト文明

エジプト末期王朝

アッシリア帝国に服従

 紀元前7世紀、イランを征服したアッシリア帝国はエジプトへ侵攻した。クシュ王国はエジプトを放棄。ナイル川上流(スーダン)へ退却した。その後、エジプトはアッシリア帝国の支配下に入った。

 7世紀末、アッシリア帝国が崩壊すると、エジプトは再び独立を回復しt。

クシュ王国

 クシュ王国は、世界最古の黒人国家といわれている。紀元前10世紀にスーダン(エジプトの南)に成立したといわれれている。

 当初は、エジプト新王国の支配下にあった。しかし、紀元前8世紀にエジプトを支配する大帝国になり、ファラオ(王)を名乗るようになった。

 紀元前7世紀、アッシリア帝国が侵攻するとエジプトを放棄し、スーダンへ戻った。紀元前6世紀にはメロエに都を作り、メロエ王国となった。

リビア人の移住

 エジプト新王国が「海の民」を撃退したころ、エジプトでは新たな問題が生じた。リビアからの移民問題である。リビアは、エジプトの西にある北アフリカの国である。

 ファラオのラメセス3世は、移住したリビア人をとらえて捕虜とした。しかし、リビアは高い文化を持っており、これがエジプトの経済成長につながった。

エジプト新王国

海の民で衰退

 紀元前13世紀末から紀元前12世紀にかけて、東地中海では「海の民」が荒らしまくっていた。エジプトもその例外ではない。

 ファラオのラメセス3世は、12世紀初頭ようやく「海の民」の追放を完了した。

シリアへ再進出

 13世紀に入ると、アマルナ革命の混乱はようやく落ち着いた。ファラオのラメセス2世の全盛期に入る。

 ラメセス2世は、再びシリアへ侵攻した。カデシュの戦いである。カデシュの戦いとは、エジプトとトルコ(ヒッタイト)との戦争である。ヒッタイトは強力な武器鉄製武具を使用していた。

 この戦いは、勝敗がつかずに講和で終わった。これが世界最古の国際条約となった。

 ちなみに、モーセがシリアへ戻ったのも13世紀のことである。

ツタンカーメン

 アメンホプテ4世が亡くなると、ツタンカーメンがファラオに即位した。ツタンカーメンは9歳で即位して18歳で亡くなった。

 そのため、父の遺志であるアマルナ革命を維持することができず、側近によって政治が動いた。都はメンフィスに移し、テーベのアメン神の神官は復職した。

 ちなみに、1922年、イギリス人探検家によって「王家の谷」が発見された。「王家の谷」とは新王国時代のファラオのミイラが眠る洞窟のことである。多くの墓は盗掘された。しかし、ツタンカーメンの墓からはミイラはもちろん、多くの副葬品が発見された。これによりエジプト考古学の研究を大きく進んだ。

アマルナ革命の混乱

 紀元前14世紀後半、アメンホプテ4世は、都をテーベからアマルナへ移した。従来の多神教(アメン神信仰)をすて、一神教(アトン)だけを信仰する改革を行った。これをアマルナ革命という。これにより、テーベの神官は職を失った。

 アマルナ革命によって、古い伝統に影響を受けない写実的なアマルナ美術が生まれた。

 この一神教は、ユダヤ教へとつながる。紀元前13世紀、モーセはエジプトからパレスチナへ移住した。このモーセによって始まったのがユダヤ教である。

 一方で、ヒッタイト(トルコ)やミタンニ(イラク)とは友好な関係を築いていた。

領土の拡大

 紀元前15世紀、トトメス3世は、ミタンニ(イラク)へ侵攻。ナイル川上流のクシュ王国(スーダン)を服従させた。

 トトメス3世は、なぜ中東へ侵攻したのだろうか。それはエジプトの防衛のためである。ヒクソスはシリアから侵攻してきた。そのため、エジプトへ侵攻できないようにシリアを押さえるようになった。

エジプト再統一

 紀元前16世紀後半、アアフメス1世がエジプト北部のヒクソス人を撃退。エジプトを再統一する。さらにシリア南部(パレスチナ)へ侵攻。ヒクソスを滅ぼした。

中王国

ヒクソスの侵入

 シリア方面から遊牧民族ヒクソスが侵入。18世紀半ばにエジプト古王国へ侵入。ヒクソスは、ヒッタイト(トルコ)やミタンニ(イラク)によって土地を追われ、エジプトへ向った。

 ヒクソスの侵入によって、騎馬と戦車がエジプトに伝わった。

 17世紀半ばには、ヒクソスがファラオになった。

新首都テーベ

 紀元前22世紀半ば、古王国が分裂。各地方の豪族が独自に政治を行う戦乱期となった。

 紀元前21世紀半ば、ナイル川中流域のテーベを拠点とした部族がエジプトを再統一した。以後、テーベがエジプトの都となった。都がテーベに遷ってから、ヒクソスのファラオが誕生するまでの時代を中王国という。

古王国

ピラミッド

 紀元前26世紀ごろ、クフ王によって巨大建造物ピラミッドが建設された。重機がない時代、巨石を大勢の人間で運んだ。ピラミッド建設で当時のエジプトには高い建築技術と多くの人間を使えることが証明された。

古王国

 紀元前3000年頃、王(ファラオ)を中心とした統一国家が成立した。エジプトは周辺が砂漠に囲まれている。そのため、異民族の侵入が少なく安定的な政治続いた。

 ファラオ(王)は、生ける神として専制的な神権政治を行った。ファラオは、少数の神官・役人に支えられていた。彼らはファラオ(王)から土地を与えられた。神官・役人の下には多くの住民がいた。彼らは、生産物の貢納(税金)と国家への無償労働の義務があった。

 都は、ナイル川河口部のメンフィスに置かれた。

エジプト文明

 紀元前5000年頃、エジプトでも農耕が始まった。これにより、ノモスという集落が誕生した。

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