1980年代前半のフランス ミッテラン大統領 イラン・イラク戦争とプラザ合意

80年、モスクワオリンピックが開催されたこの年、イラン・イラク戦争が始まった。翌81年のフランス大統領選挙でミッテラン大統領が勝利。労働者優位の政策を進めた結果、失業率が拡大。85年、プラザ合意でドル安が進んだ。ECは、南欧3か国が加盟。単一欧州議定書が発効した。

80年 モスクワオリンピック開催

 初の共産圏での開催。前年79年のアフガニスタンに侵攻に対し、アメリカのカーター大統領はボイコットを要請。日本、西ドイツなどはボイコットしたが、フランス、イギリスなどは参加した。84年のロサンゼルスオリンピックでは、逆にソ連などの東欧諸国がボイコットした。ちなみにロサンゼルスオリンピックは、商業五輪の始まりと呼ばれる。

80年9月、イラン・イラク戦争開戦

 前年79年のイランでイスラム革命がおこる。親米の国王が倒れ、シーア派中心の共和制へ移行した。一方、イラクではサダムフセインが大統領になった。イランはアメリカの支援を失った。80年9月、弱ったイランへイラクが侵攻した。欧米やソ連、中国はイラクを支援した。とくに、フランス、中国、ソ連イラクへの武器輸出で90%を占めていた。フランスとロシアは2003年イラク戦争開戦では反対に回った。

80年11月、アメリカ大統領選で。共和党レーガン氏が勝利。

81年5月、フランス 社会党ミッテラン大統領就任

法定労働時間の削減。死刑制度の廃止等を実施。
しかし、翌82年、インフレの進行。失業率が増大。英米日が進める自由主義政策に転換した。86年の議会総選挙で大敗。シラク首相率いる保守派内閣との連立内閣になる。

85年9月、プラザ合意

 アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本の5か国によるドル高への協調介入。86年3月には、同5か国による協調利下げ。87年2月、ルーブル合意で行き過ぎたドル安の是正。87年10月、ニューヨーク市場でブラックマンデーが起こる。

ミッテランの外交政策、統一欧州市場の構築

 ヨーロッパの統合では、81年にギリシア、86年にスペインポルトガルが加盟し、12か国体制になった。ヨーロッパの市場統合を進めるため、57年に調印されたローマ条約を大規模修正した単一欧州議定書を作成。86年2月にEC12か国で調印し、87年に発効した。また、85年にフランス、西ドイツ、ベネルクス3国の5か国間でシェンゲン協定を締結。自由な往来が可能となった。ちなみにこの5か国は5世紀に成立したフランク王国と重なる。

タイトルとURLをコピーしました