前回の復習 1830年代のイタリア
1830年代、イタリアでは「青年イタリア」が発足。イタリアの統一に向かって動き始めた。
カルボナリの蜂起
(きっかけ)スペイン立憲革命
カルボナリの蜂起のきっかけは、20年1月に起きたスペインの立憲革命である。
当時のスペインは、ウィーン体制で復活したスペイン=ブルボン家の王朝である。スペイン=ブルボン家は一時中断はしているもの現在も続いている。当時のスペインは南イタリアも支配しており、イタリアにも大きな影響を与えた。
立憲革命は、スペイン海軍の反乱から始まった。彼らは当時ラテアメリカの独立運動鎮圧に動いていた。スペイン国王は、この反乱を受け、憲法の復活を認めた。
フランスは、五国同盟を利用してこれを鎮圧しようとした。フランスでも、フランスブルボン家が復活していた。しかし、イギリスがこれに反対。フランスの単独出兵になった。
ナポリの蜂起
カルボナリが最初に蜂起したのは、南イタリアのナポリであった。
当時の南イタリアは、両シチリア王国があり、スペイン=ブルボン朝が支配していた。
20年1月にスペイン立憲革命が発生。その年の春、南イタリアでも立憲革命が成立。憲法に基づいて選挙を実施。議会と革命政府が成立した。議員の大部分は資本家(工場経営者など)であった。
10月、オーストリアのメッテルニヒ首相が革命政府を認めないと声明。スペイン国王も同調。オーストリアに軍隊の覇権を要請した。21年3月、革命政府はオーストリア軍によって崩壊した。
トリノでの蜂起
ナポリの革命政府が崩壊すると革命の火は北イタリアに向かった。21年3月、サルディーニャ王国のトリノで蜂起が始まった。サルディーニャ王国は、イタリア北西部の小国である。サルディーニャ王国の自由主義貴族は、軍隊を巻き込んで蜂起した。
自由主義貴族たちは、憲法の制定とともに、オーストリア領になっていた北イタリアの併合を求めた。
国王が退位。新国王が即位。憲法を承認した。
その後、新国王は、オーストリア軍を援軍を要請。新政府を崩壊させた。
秘密結社カルボナリとは
カルボナリは、ナポレオン戦争期の南イタリアで結成された秘密結社である。ウィーン体制期に勢力を拡大した。集会場を炭焼き小屋として偽装していたことからカルボナリ(炭焼党)と呼ばれるようになった。
ちなみに、パスタ料理のカルボナーラはクリームの上にかかってる黒コショウが炭焼き小屋で出るススに見えたらことからつけられたという説がある。