3世紀のスペイン 軍人皇帝時代とゲルマン人の侵攻

前回の復習 4世紀のスペイン

 6世紀のスペイン。イベリア半島は、西ゴート王国が支配していた。フランク王国に南フランスを奪われ、拠点をスペインに移した。都をおいたトレドはここから発展していく。

 今回は、西ゴード王国がイベリア半島へ進出して行く過程を見ていきます。

3世紀の国際情勢

 3世紀(201-300年)。日本は、古墳時代。中国では魏晋南北朝の戦乱期。南北朝時代で、北朝では庶民を中心に仏教が広まる。一方で、南朝では六朝文化と呼ばれる貴族文化が花開く。

 ヨーロッパでは、ゲルマン民族大移動の時代である。

専制君主制の時代へ

ディオクレティアヌス帝

 ゲルマン民族の大移動とは、4世紀末から6世紀半ばまでつづいたゲルマン民族の移住である。

 以下では、ゲルマン民族の大移動の始まりである西ゴート人のローマ帝国の侵入を見ていきます。

皇帝礼拝

 ゲルマン民族は、インド=ヨーロッパ語族に属する。英語やドイツ語などは、ゲルマン民族の言葉をルーツとしている。ゲルマン民族の身体的特徴は、長身でブロンドの髪、青い目や高い鼻が特徴とされている。

 ゲルマン民族は、ヨーロッパの北東部の北海やバルト海沿岸に拠点をおいていた。その後、西や南へ居住地を拡大していった。

 紀元前5世紀の頃からラテン人との交流がある。金言前1世紀には、ガリアをめぐりカエサルと争った。

 その後、自然と川によって国境が定まっていった。西の国境は、現在のライン川になり、南の国境はドナウ川になった。

四帝分治制(テトラルキア)

 3世紀まで、ローマ皇帝は1人であった。しかし、3世紀の軍人皇帝時代を経て、皇帝を1人に絞ることは難しいことが判明した。

 ディオクレティアヌス帝は、ローマ皇帝を4分割してそれぞれ位に皇帝の地位を与えた。これにより、4世紀のローマ帝国は分裂と統一を繰り返すようになる。

3世紀の危機

異民族の侵入

 3世紀のローマ帝国は、「3世紀の危機』と呼ばれる。当時のその危機の主な要素は、2つの異民族の侵入である。

 西のフランス(ガリア)では、ゲルマン民族との戦争が続いていた。一方、東の中東では、イランのササン朝との戦争が続いていた。

軍人皇帝

 3世紀初頭のローマ帝国は、有力者が無産市民を集めて戦っていた。そのため、無産市民は自分のトップ

私兵から外国人傭兵部隊へ

コロヌスの始まり

 4世紀末、ローマ皇帝デオドシウス帝が崩御。ローマ帝国は東西に分裂した。

 10年、西ゴードのアラリック王がローマを占領。ただ、西ローマ帝国を滅ぼすことはなかった。

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