1720年代のアメリカ

1720年代のアメリカの勢力図

 17世紀後半から18世紀前半にかけて、第二次英仏百年戦争が展開されていた。その舞台は、アメリカとインドであった。

 1720年代はアン女王戦争とジョージ王戦争の間の休戦期にア当たる。イギリスは、アン女王戦争でカナダ東岸を獲得。フランス領カナダはケベックのみとなった。現在のアメリカ合衆国のあたりは、東海岸(アパラチア山脈の以東)がイギリス領、中部の大平原(ルイジアナ・ロッキー山脈とアパラチア山脈の間)はフランス朝であった。ロッキー山脈の玄関口がカナダのケベックとロッキー山脈であった。

1720年代の英仏

ヨーロッパ情勢

 20年代のヨーロッパは、スペイン継承戦争とオーストリア継承戦争の戦間期に当たる。10年代に、西ではスペイン継承戦争、東では大北方戦争が行われ、人々は戦争に疲弊していた。

ウォルポールの平和(イギリス)

 この時代、アメリカの重要なプレイヤーはイギリスとフランスである。当時のイギリスはどのような状況であったのだろうか。

 イギリスは、アン女王が亡くなりスチュアート朝が断絶。ハノーヴァー朝へ移行した。国王はイギリス政治にあまり関心がなく、政治は貴族が取り仕切っていた。その中心人物はホイッグ党(旧反王党派)のウォルポールである。ホイッグ党は戦争をあまり好まない政党である。そのため、20年代~30年代にかけての戦間期をウォルポールの平和という。

財政難のフランス

 一方、フランスは太陽王ルイ14世が亡くなり、戦争の時代が終わった。しかし、ヴェルサイユ宮殿の建設や度重なる戦争でフランス王室財政は苦しかった。それでも、インドとアメリカ植民地の交易でなんとか財政を維持することができた。

 また、スペイン継承戦争でスペイン=ブルボン朝が成立。講和条件でスペイン国王フィリペ5世はフランス国王になることができなくなったが、フランスと友好関係を築いた。

三角貿易

三角貿易とは

 イギリスは、スペイン継承戦争でアシエント権(スペイン植民地での黒人奴隷販売権)を獲得した。イギリスはアシエント権を利用して三角貿易を始めた。

 イギリスは、武器や雑貨を積んで西アフリカへ向った。西アフリカでは沿岸部の人々がヨーロッパ製の最新武器を使って内陸部へ侵攻。多くの村を襲い黒人奴隷を集めた。イギリス商人は西アフリカで武器や雑貨を販売。その資金を黒人奴隷に代えた。

 新大陸(アメリカや西インド諸島)では、ヨーロッパからの明が黒人奴隷を使って大規模な農場経営を行っていた。そこでは新大陸でしか生産できない作物が多く生産された。タバコや砂糖(サトウキビ)、綿花などである。イギリス商人は黒人奴隷と農産物を交換。その農産物をイギリスで販売した。

アシエント権ってなに?

 アシエント権は、スペイン王室が奴隷の独占販売権を与える代わりに黒人奴隷に関税を治める仕組みである。

 16世紀、新大陸で伝染病が流行。新大陸は大幅な労働力不足になった。そのため奴隷の需要が急激に高まった。トルデシリャス条約でアフリカ大陸はポルトガル勢力圏、新大陸はスペインの勢力圏とした。スペイン王室は、ポルトガルの商人に奴隷の独占販売権を与える代わりに奴隷供給量に応じた代金を請求した。これがアシエント権の始まりである。

南海会社泡沫事件

 イギリス王室は、スペインから獲得したアシエント権を使って新会社(国有企業)を設立した。これが南海会社である。イギリス王室は、南海会社に新大陸での貿易の独占権を与え、その株を民間に販売した。この株式は飛ぶように売れた。実態に合わないほど株価が高騰。その後株価は大暴落した。これを経済用語でバブルという。この事件のイギリスでは多くの人が財産を失った。

 南海会社は、ウォルポールの下で再建された。その結果、ウォルポールは、実質的な初代内閣総理大臣となった。

三角貿易がイギリスにもたらしたもの

 イギリスは、この三角貿易で多くの富を獲得した。これらの資金は海軍増強に使われた。これが大英帝国の礎になった。一方で産業革命が展開したのもこのころである。