アメリカへ進出した国々
フランス
17世紀後半のフランスは、ブルボン朝絶対王政の全盛期である。ヴェルサイユ宮殿を作った太陽王ルイ14世の時代である。
43年、フランスで太陽王ルイ14世が即位。宰相マザランの政治が行われていた。61年、宰相マザランが亡くなると、ルイ14世の親政(国王による政治)が行われた。68年、コルベールが財政を担当。財政再建のため重商主義へ向った。重商主義とは、輸出を増やして、輸入を制限。その差額で国を富ませようという考えである。
フランスは、東インド会社を再建。インドやアメリカへ進出した。フランスは、イギリスと違い商人が少なかった。そのため、先住民と仲良くなり先住民を使って貿易を促進させた。
ルイジアナ
82年、フランス探検家によってルイジアナの探検が始まった。その際に利用されたのがミシシッピ川である。フランスはカナダからミシシッピ川を下って探検を行った。
イギリス
17世紀のイギリスは、市民革命の真っただ中にあった。スチュアート朝の王室に対して貴族が
91年 マサチューセッツ植民地がピューリタンのプリマス植民地を併合
王領植民地→自治植民地
オランダ
オランダは、カルヴァン派商人が集まる北韓沿岸の国である。17世紀半ばにオランダ独立戦争に勝利。正式に独立した。オランダ独立戦争期にアジアのスペイン拠点を数々と奪っていた。
スペイン
16世紀後半、太陽の沈まぬ国として繁栄を極めたスペインであった。しかし、17世紀に入るとポルトガルが独立。さらにオランダ独立戦争に敗北した。
そのスペインは、カール5世の血をひくハプスブルク家がスペイン王室を務めていた。
英蘭戦争とアメリカ
スペイン継承戦争
スペイン=ハプスブルク家は、17世紀末に病弱なカルロス2世が即位した。カルロス2世には子がなく、スペイン=ハプスブルク家の断絶が見えてきていた。
そこに目を付けたのが、フランス王ルイ14世である。ルイ14世は自分の孫をスペイン王にして、スペイン併合を目論んでいた。
これに待ったをかけたのが、オーストリア=ハプスブルク家である。オーストリア=ハプスブルク家は、フランスと対立するイギリス・オランダと同盟を結んだ。
01年スペイン王カルロス1世が亡くなると、フランス=ブルボン朝とオーストリア=ハプスブルク家がスペイン王を擁立。スペイン継承戦争がここに始まった。
アメリカ大陸も子の戦争の舞台になり、スペイン継承戦争が始まった。
第二次英仏百年戦争
80年代 名誉革命
88年1月、
70年代 第3次英蘭戦争
イギリスのチャールズ2世がフランスルイ14世とドーヴァーの密約。英仏連合軍 vs オランダの構図となった。
60年代 第2次英蘭戦争
チャールズ2世 vs オランダ
オランダは、アメリカ大陸から撤退。イギリスはこの時にニューヨークを獲得。
50年代 第1次英蘭戦争
クロムウェルが航海法を制定。これにオランダが反発。第一次英蘭戦争に向かった。54年のウェストミンスター条約でオランダとの講和を結んだ。