2000年代のロシア プーチン大統領と強いロシア

 2000年代、9・11テロで世界は新たな時代を迎えていた。日本では、小泉純一郎ブームが起こっていた。

 そのような中、ロシアは新たなリーダーを迎えた。プーチン大統領である。

メドーヴェージェフ大統領

 当時、ロシアの大統領は連続2期8年であった。そのため、プーチン大統領は、側近のメドヴェージェフに大統領職を譲り、自分は首相(行政のトップ)についた。

 メドヴェージェフ大統領が就任すると憲法を改正。大統領の任期を連続2期8年から連続2期12年に変更した。

カフカス地方で南オセチア紛争

 08年8月、南オセアチア戦争が勃発した。南オセアチアとは、カフカス地方(黒海とカスピ海の間の山岳地帯でロシアと中東<トルコ、イラン>の間)にあるジョージアの一地方である。オセアチア人はロシアとジョージアにまたがっていた。そのため、ロシアは、南オセアチアの編入を画策していた。

 ジョージアは、08年8月に南オセチアで軍事行動を行った。北京オリンピックの真っただ中を狙った。この問題で、アメリカとロシアの関係はさらに悪化。新冷戦を思わせた。

EU(フランス・サルコジ大統領)の仲介で和平
ロシアは南オセチアアブハジアの独立を承認

プーチン大統領

07年 リーマン・ショックで原油価格が暴落

   原油価格の暴落
   外国資本の流出

    → オリガルヒの影響力が弱くなる。

05年 ウクライナ、親EU派によるオレンジ革命

 04年 親ロシア派ヤヌコヴィッチ大統領が大統領選挙に勝利
    敗北 → 親EU派ユーシェンコ

 親EU派が大統領選挙のやり直しを求めてデモ

  → 再選挙を実施、ユーシェンコ大統領が逆転勝利

05年 ハイテク経済特区 ← 資源国からの脱却

04年 ペスラン学校占拠事件
 チェチェン独立運動派によるテロ事件

 チェチェン紛争
  カフカス地方でロシア帝国

原油価格の高騰
 →ロシア金融危機から脱却し、経済が回復
   GDPが8年で6倍
 →プーチンの高い支持率

カフカス地方の民族問題

 02年 モスクワ劇場占拠事件
  チェチェン独立運動派によるテロ事件

 03年 カフカス地方ジョージアバラ革命
     親欧米派の大統領が登場

新興財閥「オリガルヒ」の汚職を追求

 プーチンは、「オリガルヒ」との対立色を強める。
  →「オリガルヒ」の贈賄、脱税の捜査を強化

 新興財閥「オリガルヒ」
  前大統領エリツィンの支持基盤

 01年 9・11テロ
  アメリカと共同歩調

強いロシア

 「強いロシア」→中央集権と法による独裁
   → 欧米の批判を受けるが
     社会主義になれたロシア国民から広く支持
     00年12月 国歌変更

 通貨危機の脱出、強いロシア政策
  → 国民から強い支持

ロシア通貨危機

98年 ロシア通貨危機 で最悪の経済状況

99年 チェチェン紛争

99年08月 エリツィンの指名によりロシア首相に

99年12月 エリツィンの引退により大統領代行

00年03月 プーチン大統領、大統領選挙に勝利
 エリツィンの引退
 元KGPのスパイ
 ロシアの経済危機を脱却して国民の支持を拡大
  ⇒ 親密な関係者のみが甘い蜜をすう

00年 前大統領エリツィン一族の汚職の追及を行わない
 ⇒ 引退後のエリツィンの安全を図る

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