15世紀のアメリカ コロンブスが見たアメリカ

コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年のことである。前半では、コロンブスを中心とした15世紀のヨーロッパを見ていきます。
後半では、視点をアメリカ大陸へ移して、15世紀に存在したアメリカの2つの大国、アステカ王国とインカ帝国を見ていきます。

コロンブスと15世紀のヨーロッパ

トルデシリャス条約

トルデシリャス条約とは

 92年、コロンブスが大西洋を横断した。当時はまだアメリカ大陸の存在が知られていなかったため、スペインは新たなインド航路を獲得した。

 スペイン王室は、この航路をポルトガルかあら守りたかった。そこで救済を求めたのがローマ教会であった。93年、ローマ教皇は教皇子午線を定めす、スペインとポルトガルの勢力圏を分けた。しかし、ポルトガル王室がが激怒。翌94年、教皇子午線をさらに西(アメリカより)に動かした線で勢力圏が確定した。この条約をトルデシリャス条約という。

ブラジル人だけがなぜポルトガル語を話すのか?

 トルデシリャス条約締結時には、まだブラジルが発見されていなかった。ポルトガルがブラジルを発見するとトルデシリャス条約に基づいて、ポルトガル領になった。

当時のローマ教皇は

 15世紀後半、ローマ教皇はフェレンツィエのメディチ家出身者が続いていた。92年メディチ家の当主が亡くなると、急速にメディチ家は衰退した。

 ローマ教皇も、スペイン出身のアレクサンデル6世が就任した。ローマ教皇アレクサンデル6世は、トルデシリャス条約に尽力した。トルデシリャス条約が結ばれた94年、フィレンツェでは、フランスのシャルル8世がメディチ家を追放。イタリア戦争が勃発する。

コロンブス

アメリカ大陸発見

 92年、スペイン女王イザベルの支援で大西洋を横断。中米カリブ海のサンサルバドル島に上陸した。

スポンサーのスペイン

 コロンブスの支援者は、スペインのイザベル女王であった。コロンブスは86年から交渉を始めた。しかし、当時のスペインにはコロンブスを支援する余裕はなかった。なぜなら、イスラム勢力の拠点グラナダ攻略の真っただ中であったからだ。

 96年イスラム勢力の拠点グラナダが陥落。コロンブスの支援が決定された。

 スペインは、79年にカスティリャ王国の王女とアラゴン王国の国王の結婚により成立した国である。

支援しなかったポルトガル

 コロンブスは、最初ポルトガルに支援を求めた。しかし、ポルトガル国王ジョアン1世はこれに応じなかった。これはすでにインド航路を確保していたからである。

 ポルトガルは13世紀半ばにはレコンキスタを完成していた。イスラム教徒からアフリカ大陸の情報を得ていた。しかし、アフリカ南西部の情報はなかった。ポルトガルからアフリカ東海岸への航路を確保できればインドへ向うことは可能になる。

 ポルトガルの大航海時代は、15世紀初頭からはじまる。15世紀初頭エンリケ王子がアフリカ西岸部の探検を開始した。15世紀半ばにはアフリカ西岸の沿岸の国々との交易が始まる。鉄砲などの武器を輸出して、内陸部から金や黒人奴隷を輸入した。

 コロンブスがポルトガルを訪れたのは80年代初頭のことである。この頃のポルトガルは東アフリカへの航路獲得であった。そのため、コロンブスの支援には興味がなかった。コロンブスはポルトガルをあきらめて、スペインへ向った。

 一方、ポルトガルは88年、ディアスが喜望峰を回り東アフリカへ到達。98年にはヴァスコ=ダ=ガマがインドへ到達した。

天文学者トスカネリ

 探検家コロンブスに地球が球体であることを伝えたのは誰であろうか。フィレンツェの天文学者トスカネリであった。トスカネリは古代エジプトの天文学の研究を通じて、地球が球体であることを知った。

 ちなみに、フィレンツェは、イタリア東部の都市である。ローマ教皇を出したメディチ家が権力を握る都市共和国である。コロンブスの出身地であるジェノヴァからも遠くはなかった。

コロンブスの出身地、ジェノヴァ

 コロンブスは、なぜ出身地であるジェノヴァを離れたのであろうか。ジェノヴァはイタリア北東部の商業都市である。12世紀には東方貿易で非常に栄えた。しかし、ヴェネツィアとの抗争に敗れ東方貿易から撤退。町は次第に衰退していった。

アステカ王国とインカ帝国

15世紀のアメリカ大陸

 15世紀のアメリカ大陸はどのようになっていたのであろうか。15世紀のアメリカ大陸は太平洋岸が中心であった。その中心は、中米メキシコと南米ペルーであった。中米メキシコにはアステカ王国が、南米ペルーにはインカ帝国が存在した。

アステカ王国

 アステカ王国は、15世紀半ばに独立。16世紀初頭にはメキシコ高原全域を治めるようになっていた。

 アステカ王国では、皇帝が治めていたが、皇帝は世襲ではなく選挙で選ばれていた。皇帝の下には、祭祀と軍事を担当する貴族がおり、貴族が政治を支えた。アステカ人は太陽神を信仰していた。

インカ帝国

 インカ帝国は、13世紀初頭にペルー周辺で成立。15世紀半ばには最大版図を獲得した。インカ帝国も太陽信仰の国であった。アメリカ大陸には小麦はなく、トウモロコシやジャガイモを主食としていた。

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