概要・地理

ここでは、モンゴルと中央アジアの歴史を見ていきます。北のソ連と南の中国に挟まれたエリアである。寒冷で、農耕が出来ず広い草原を生かした羊などの家畜で生計を立てていた。近世までは、騎馬軍団を結成し、中国に脅威を与える存在であった。13世紀には、ユーラシア大陸の大部分を征服するチンギス・ハーンのモンゴル帝国が成立する。
現代
冷戦後(平成・令和)
ソ連崩壊後、モンゴルと中央アジア諸国は社会主義から離脱しました。モンゴルは平和的に民主化と市場経済化を達成しましたが、中央アジア(カザフスタン等)では旧指導層による権威主義体制が続く国が目立ちました。共通してロシア依存から脱し、資源開発や多角的な外交で独立の維持を図っています。
冷戦期(昭和中後期)
戦後、モンゴルと中央アジアはソ連の強い影響下で社会主義体制を歩みました。モンゴルは実質的な衛星国として近代化を進め、中央アジア諸国はソ連の構成共和国として綿花栽培や工業化、資源開発に従事しました。冷戦末期の停滞を経て、1991年のソ連崩壊により各国は相次いで独立を果たしました。
大戦期
1890年以降、中央アジアはロシア帝国に併合され、モンゴルは清の支配下にありました。ロシア革命後、ソ連の影響でモンゴルは1924年に社会主義国となり、中央アジアもソ連の構成共和国として再編。宗教の抑圧や集団化による激変を経験しつつ、ソ連の防衛拠点として第二次世界大戦を迎えました。
近代
19世紀後半(幕末・明治)
19世紀後半、中央アジアはロシア帝国による軍事的征服が進み、コーカンド・ハン国らが滅亡してロシアの支配下に入りました。モンゴルでは清朝の支配が続く中、ロシアの勢力浸透や清の漢人入植政策(新政)への反発が強まり、独立への機運が醸成されました。両地域は帝国間の競争の最前線となりました。
安土桃山・江戸時代(16世紀〜19世紀前半)
16世紀、モンゴルではダヤン・ハーンが再統一を果たしますが、17世紀には清朝の支配下に入り、内・外モンゴルへ分かれます。中央アジアではジュンガルが最後の大遊牧帝国として台頭するも、清に滅ぼされました。騎馬民族の軍事的優位は火器の普及や清・露の拡大により失われ、定住国家の管理下へ組み込まれていきました。
中世
武家の時代(モンゴル帝国とその後)
13世紀、チンギス・ハーンがモンゴル帝国を樹立し、史上最大の版図を築きました。しかし14世紀に帝国が解体・北走(北元)すると、15世紀にはモンゴル東部のタタールと西部のオイラトが台頭し抗争を展開。明の親征や土木の変を経て、遊牧勢力は再編されつつも定住世界を脅かし続けました。
公家の時代(イスラム教成立〜モンゴル帝国
7世紀、東突厥を制した唐の勢力が拡大しますが、8世紀にはウイグルがモンゴル高原を統一しました。9世紀にウイグルが崩壊すると、10世紀には契丹(遼)が台頭し、北アジアから中国北部を支配。その後、12世紀に女真(金)が遼を滅ぼし勢力を広げる中、モンゴル諸部族が統合へ向かう胎動を始めました。
古代
紀元後
1世紀、北匈奴が後漢に敗れ西走した後、鮮卑がモンゴル高原を支配しました。4世紀には柔然が台頭し「可汗」の称号を初採用。中央アジアではエフタルが勢力を伸ばします。6世紀半ば、トルコ系の突厥が柔然を滅ぼし、カスピ海からモンゴルに至る大帝国を築いて北方世界の主導権を握りました。
紀元前
紀元前7世紀頃、黒海北岸から中央アジアにスキタイが登場し、騎馬文化を確立。紀元前3世紀にはモンゴル高原で冒頓単于が匈奴を統一し、漢を圧倒する初の大遊牧帝国を築きました。東西で月氏や烏孫も割拠しましたが、1世紀にかけて匈奴が分裂・衰退し、北方の勢力図は大きく塗り替えられました。