13世紀の中国 元王朝 モンゴル民族が 世界を席巻

 13世紀はモンゴルの世紀である。
 モンゴルの影響は、中国のみならず、東欧、イスラム社会、東南アジア、そして日本にも影響を与えた。
 当時の日本は、鎌倉時代であり、中国は、華北女真族の金が支配しており、江南は、宋で農業も商業も目覚ましく発展していた。

モンゴル帝国

チンギス=ハン

 モンゴル民族は、契丹族の敗北以降、女真族の金の支配下で諸民族に分裂していた。そのあと、テムジン(のちのチンギス=ハン)はモンゴルを統一された。テムジンは、中央アジア諸国を次々支配下に入れた。

 06年、モンゴルの部族会議(クリルタイ)でテムジンがハン(遊牧民族の君主の称号)に即位。チンギス=ハンと名乗る。
 中央アジアで、11年に東トルキスタンナイマン(西遼を滅ぼす)、同じ、11年満州華北など金王朝の領域に侵入。14年、金王朝は北京周辺中都を放棄、開封に遷都。黄河の北をモンゴルに奪われた。18年から中央アジア遠征を始める。21年に西トルキスタンホラズム(トルコ系イスラム国)を滅ぼす。27年に中央アジア侵攻に参加しなかった西夏を滅ぼす。モンゴルから中央アジア、インド西北部(インダス川)まで支配領域を広げた。27年に中央アジアの元ホラズム領地にチャガタイ=ハン国が成立。

オゴタイ=ハン

 29年、2代目オゴタイ=ハンが即位。32年華北の金を滅亡させ、華北支配下に入れた。また、34年モンゴルにカラコルムという都を建設した。

 一方でオゴタイの甥っ子(チンギスハンの孫)は、西方への侵略戦争を行った。36年バトゥはロシアのモスクワに進出し、東欧としばしば戦った。40年にはキエフ公国を滅ぼした。翌41年、ワールシュタットの戦いポーランド王国神聖ローマ帝国(ドイツ)などの連合軍に勝利。翌42年にオゴタイ=ハンの死去にともない東欧侵攻がとまる。

モンケ=ハン

 46年、グユウが即位するもわずか2年後崩御した。バトゥはこれに対立し、黒海カスピ海北部にキプチャク=ハン国を樹立した。

 51年、4代目モンケ=ハンが即位。
 弟のフビライを中国方面へ派遣。54年チベット雲南を征服。59年、朝鮮半島高麗を属国にする。

 また、モンケ=ハンの弟フラグは、中東へ進出し、イスラム社会を支配下に置いた。58年、バクダード入城。アッバース朝を滅ぼす。60年、シリアを支配下に入れるが、エジプトのマムルーク朝に敗北。60年、モンケ=ハンの死で侵攻が止まる。

元王朝

フビライ=ハンと元寇

 60年、5代目フビライ=ハンが即位。同じ年、フビライの弟アリクブケも即位。帝位継承戦争が始まる。中東に侵攻していたフビライはイランにとどまりイル=ハン国を建国。ビザンツ帝国と友好関係を結ぶ。ネストリウス派キリスト教を保護する。64年、相続争いでフビライ=ハンが勝利。64年、カラコロムから上都(開平府)中都に遷都。66年、オゴタイ=ハンの孫ハイドゥフビライ=ハンの即位を認めなかった。ハイドゥは、フビライと戦争を開始した。67年、中都(北京)周辺に大都を建設。71年、国名を中国風のに改める。74年、日本の鎌倉幕府に第1回遠征に失敗。76年江南のの都臨都を占領。79年江南の宋を滅亡。81年、日本の鎌倉幕府へ第2回遠征も失敗。87年東南アジアの西(インド)側ミャンマーバガン朝を滅亡。雲南ミャンマーを通ってインド洋へ出るルートを確保した。ベトナム陳朝にも3回遠征したがいずれも撃退した。東南アジアでは、雲南地方からタイ人がインドシナ半島に進出。スコータイ朝を建国。また、元王朝は、ジャワ島へ侵攻も失敗。ジャワ島ではマジャパヒト王国が隆盛。イスラム化が始まる。1301年、フビライがハイドゥに勝利。

元王朝の政治

 元王朝は、これまでの王朝と違いペルシア人などの色目人が仕えたため、中国人官僚を必要としなかった。そのため、この時代科挙は行われていない。これにより士大夫の活躍の機会は減った。

元王朝期の経済

 この時代、広域交易網が発達した。駅伝制(ジャムチ)が成立。ムスリム商人がアジアとヨーロッパの交易の主役を担った。一方で海上交易も発達。杭州(宋の臨安)、泉州福建省、宋時代の最大の港)、広州(香港)などの港市が発達。隋の時代に作られた大運河も改修。北京の大都まで延長し、穀倉地帯の長江下流域と首都大都までの水上運輸が発達した。

 経済も発展した。宋代の銅銭が引き続き使われた。また、交鈔といわれる紙幣が流通した。宋の時代同様、大土地所有が続き、地主が佃戸(小作人)を使って経営していた。

元王朝期の文化

 一方で庶民文化が花開いた。西遊記などの戯曲が流行ったのもこの時代である。

元王朝期の外交

 この時代、西欧では十字軍が盛んにおこなわれていて、援軍をもとめてローマ教会やフランス(ルイ9世)から使節がきた。71年には、ヴェネチア商人マルコ=ポーロが活躍。大都でフビライに95年まで仕えた。
 イスラム教、キリスト教の普及も始まった。イスラム教はキプチャク=ハン国でも保護された。ミニアチュール(細密画)も広まった。ネストリウス派キリスト教を保護していたイル=ハン国も95年イスラム教の保護に変更。