4世紀のエジプト
4世紀、ローマ帝国の首都はローマからコンスタンティノーブルに移った。そして、キリスト教が国教化された。
今回は、前半ではエジプトの繁栄の要因となった季節風貿易を見ていきます。後半では、3世紀のローマ帝国の状況を見ていきます。
季節風交易
季節風貿易
ローマ帝国時代のエジプトは、重要な経済拠点であった。それには2つの理由がある。1つ目は、大量な小麦が取れた。この小麦がローマ市民の胃袋を支えた。2つ目が、季節風貿易である。
季節風貿易とは、季節風を通じて行ったアラビア海の交易である。季節によって変わるアラビア海の風向きを利用して商人はエジプトとインドを行き来した。
インド(サータヴァーハナ朝)
ローマ帝国の主要な貿易相手国は、南インドのサータヴァーハナ朝であった。サータヴァーハナ朝は紀元前1世紀に成立。
しかし、3世紀の軍人皇帝時代に入ると季節風貿易は衰退。これにより、サータヴァーハナ朝も衰退した。
ローマ帝国からエチオピアへ
3世紀の軍人皇帝時代に入ると、ローマ帝国は貿易どころではなくなった。ローマ帝国の代わりに季節風交易の中心になったのがエチオピア(アクスム王国)である。
エチオピアは、季節風貿易で国力を増強。4世紀には隣国のスーダン(メロエ王国)を征服した。
ローマ帝国と3世紀の危機
専制君主の時代
3世紀末、ディオクレティアヌス帝が即位。政情安定させるために専制君主制に移行した。これにより、軍人皇帝時代が終結した。
ディオクレティアヌス帝は、ローマ帝国を四分割した。ディオクレティアヌス帝は、サーサーン朝の最前線を担当する。東の制定になった。彼は、豊かなシリアとエジプトを担当した。
ちなみに、のちに皇帝になるコンスタンティヌス帝は、西の副帝としてフランス(ガリア)を担当。ゲルマン民族の最前線で戦った。
ディオクレティアヌス帝は、専制君主制を強めるため皇帝の神格化を進めた。そのため、キリスト教の迫害を断行した。しかし、3世紀末に入るとキリスト教の勢力は簡単に迫害できないほどの巨大組織になっていた。4世紀にはいると、コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認することになる。
軍人皇帝時代
五賢帝の時代が終わると、皇帝の後継者をめぐり内紛が勃発。ローマの内紛に、辺境で戦う軍人たちは怒り心頭。軍人出身の皇帝の時代が始まる。これが軍人皇帝時代である。
この時代になると、領土の拡張が亡くなり、奴隷の供給が止まる。ラティフンディアからコロヌス制へ移行した。
また、3世紀に成立したササン朝は、ローマ皇帝を捕虜にするほどの大国になった。
また、3世紀の政情不安からキリスト教信者は増大した。また、これを迫害できる皇帝もいなかった。
五賢帝の時代
1世紀末から2世紀に五賢帝の時代に入る。この時期に最大領土を獲得。ローマ帝国の全盛期を迎える。