1980年代前半のエジプト サダト大統領暗殺事件

ムバラク政権の成立

 1980年代から2000年代までの約30年間、エジプトではムバラク政権の独裁が続いていた。では、ムバラク大統領とはどのような経緯で大統領になったのだろうか。

 ムバラク大統領は、前エジプト大統領であるサダト大統領の副大統領であった。すなわち、ムバラク氏は当初からサダト大統領の後継者とみられていた。

 81年、サダト大統領が暗殺されると、既定路線に従ってムバラク大統領が誕生した。政策もサダト大統領のものを引き継いだ。

なぜサダト大統領は暗殺されたのか?

サダト大統領とは

 70年、ナセル前大統領がなくなった。この後を継いだのがサダト大統領であった。サダト大統領は、ナセル大統領と一緒にエジプト王政を崩壊させた自由将校団のメンバーであった。

 サダト大統領は、政策を大きくて冠させた。ナセル大統領が進めていた親ソ路線から距離を置くようになった。

サダト大統領暗殺事件

 81年、サダト大統領は、暗殺された。犯人はムスリム同胞団の急進派であった。

首謀者、ムスリム同胞団

 ムスリム同胞団は、エジトに拠点を置くイスラム原理主義の政治団体である。イスラム原理主義は、テロ組織のイメージが強いが、実際はそうではない。世俗化した現代のイスラム教を批判し、7世紀のムハンマド時代のイスラム教へ回帰しようとした動きである。

 ムスリム同胞団は、戦間期の1920年代に結成された。50年代にはナセルの自由将校団とともにエジプト王室を追放した。しかし、ナセルが政権を掌握するをムスリム同胞団と自由将校団は対立するようになった。

エジプト=イスラエル平和条約

 では、サダト大統領はなぜ暗殺されたのだろうか。それは、70年代後半のエジプト=イスラエル平和条約である。イスラエルとの和平政策は、ムスリム同胞団にとって容認できるものではなかった。