前回、2011年のエジプト革命(アラブの春)でムバラク政権が崩壊した話を行った。今回は、そのムバラク政権とはどのような政権だったのかを見ていきます。
ムバラク政権とは
ムバラク政権とは、80年代に成立した長期軍事独裁政権である。81年に暗殺されたサダト大統領の政策を継承。アメリカ・イスラエルとの関係改善に努め、アメリカ資本による経済成長を目論んだ。
非常事態宣言
ムバラク政権を長期政権にしたのは非常事態宣言である。非常事態宣言は、大規模テロなどの時に発令され、令状なしで逮捕などを行うことができるようになる。
ムバラク政権は、サダト大統領暗殺受けて非常事態宣言を発令。エジプト革命で政権が崩壊するまで非常事態宣言は解除されなかった。
弾圧されるムスリム同胞団
ムバラク政権は、親米路線をとっていた。そのため、ムスリム同胞団のようなイスラム原理主義者から反発を受けていた。そのため、ムバラク政権ではムスリム同胞団を弾圧していた。
また、01年の9・11テロによって、アメリカのブッシュ大統領がイスラム原理主義者の取り締まりを強化すると、ムバラク大統領も積極的に協力した。その結果、多くの国際資本がエジプトへ流入した。
2000年代のイスラエルとパレスチナ
パレスチナは、01年にシャロン首相が誕生。レバノンやパレスチナ(ガザ地区)からの撤兵を進めていた。しかし、第2次レバノン戦争の勃発やハマスなどの過激派の活動で撤兵は孫座している。
このころのパレスチナはどのような状況であっただろうか。04年に、アラファト大統領が死去。翌05年の選挙でアッバス大統領が誕生した。翌06年の議会選挙では、過激派のハマス派が過半数を確保。ハマス主導の内閣が成立。アッバス大統領を中心とした穏健派とハマスと中心とした過激派の内部対立が続いている。
リーマンショック
ムバラク政権下のエジプトでは、非常事態宣言などで人権は抑圧されていた。しかし、海外資本の受け入れで経済は好調であった。そのため、それほど大きな不満を持つものは多くはなかった。
しかし、08年9月に始まったリーマンショックで世界的な不況に入った。エジプトもその影響を受けた。特に若年層の失業率が上昇した。