2010年代のスペイン 新国王とユーロ危機

新国王 フェリペ6世

新国王の即位

 16年、新国王フェリペ6世が即位。

 スペインは、立憲君主制の国である。現在は、19世紀に始まったブルボン朝の王朝である。このブルボン朝は3回停止している。現在は、1970年代に始まった第3次復古王政である。

 前国王カルロス1世は、70年代に成立した第3次復古王政の初代国王である。14年に、生前退位を表明。国民党のラホイ首相は、生前退位の急ピッチにととのえた。16年、息子のフェリペ6世に譲位が行われた。

 このことが、2019年の日本の生前退位に影響を与えたものと思われる。

スペインの政治

 スペインは、日本と同じ議院内閣制をとっている。議会は主に2つのグループに分かれている。国民党を中心とした右派(日本で言う自民党)グループと社会労働党を中心とした左派(日本で言う立憲民主党)グループである。

 現在の首相は、社会労働党のペドロ氏である。2018年から首相を務めている。

バルセロナの独立

カタルーニャ州

 バルセロナはスペイン北東部の都市で、カタルーニャ州の州都である。名門プロサッカーチームのFCバルセロナの本拠地で、92年にオリンピックが開催されている。

 このカタルーニャ州は、中世のカタルーニャ辺境伯領に由来する。8世紀にスペインがイスラム勢力に征服された際、フランク王国が取り抱えしたのが、カタルーニャは辺境伯領である。その後も、イスラム勢力の防波堤的な役割を果たした。

 その歴史から、スペインの中でも独自の文化を形成している。

強い経済力

 80年代、スペインがECに加盟。多くの海外企業がスペインに進出した。そのときに本拠地をおいたのは、首都マドリードではなく、フランスに近いバルセロナであった。

 92年、この経済力を背景にバルセロナオリンピックを開催した。

ユーロ危機が独立問題の要因

 06年、自治権を拡大した自治憲章を採択した。

 10年代に入ると、ギリシャ国債問題をきっかけにユーロ危機が起こった。カタルーニャ州の人々は、スペイン政府に多くの税金を取られることに不満を持つようになった。

 10年7月のカタルーニャ州独立デモをきっかけに独立機運が高まった。

17年の住民投票でカタルーニャが独立

 15年の州議会選挙で、カタルーニャ独立派が過半数を獲得。17年10月、住民投票で独立が可決。独立宣言に署名を行った。

 本国の国民党政権は、これに反発。カタルーニャ州の自治権を停止した。

 18年5月、国民党の汚職事件が発生。この混乱の中、カタルーニャ州は自治権を回復した。

ユーロ危機

汚職事件でペドロ政権へ

 10年代初頭は、国民党のラホイ政権の時代である。

 13年、ラホイ政権の汚職疑惑が発覚。当時、ギリシャの国債問題で投資家はで国債の返済能力に過度に反応する状況にあった。そのため、スペイン国債は暴落。これにより、大幅なユーロ安が発生した。

 15年の総選挙。ラホイ首相の国民党は大敗。過半数割れになった。汚職事件と不景気が要因である。ラホイ首相は、連立政権を発足できず、16年に再選挙となった。ようやく連立政権が成立した。

 しかし、17年に汚職事件が再燃。18年に内閣不信任案が可決。社会労働党ペドロ政権が発足した。

2020五輪を逃す

 13年、アルゼンチンのブエノスアイレスでIOC総会が開催。ここで20年のオリンピック開催地投票が行われた。スペインのマドリードも立候補した。日本の東京、トルコのイスタンブルと開催地を争った。結果、日本の東京に決まった。

ユーロ危機と右派政権

 ユーロ危機で、不況が深刻化。野党国民党が大勝。社会労働党のサパテーロ政権が崩壊。国民党ラホイ制限が成立した。

PIGs

 09年、ギリシャ財政の粉飾決算発覚をきっかけにギリシャ通貨危機が勃発した。リーマンショックの影響で、欧州の金融機関は。リスク資産を売ってユーロ加盟国の国債を購入していた。その中で人気があったのは財政赤字が多い高金利の国債であった。その国は、(P)ポルトガル、(I)イタリア。(G)ギリシャと(s)スペインである。これら四か国の頭文字をとってPIGsとよばれた。

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