12世紀のフランス カペー朝 十字軍とノートルダム大聖堂

前回の復習 13世紀のフランス

 13世紀のフランスは、カペー朝の時代である。

 フィリップ2世は、第3回十字軍に参加。イングランド国王ジョンからイングランド大陸領土の大部分を奪還した。

 ルイ9世は、フィリップ2世から引き継いだアルビジョア十字軍で南フランスを掌握。

 そして、アナーニ事件を引き起こす。フィリップ4世が即位する。

 フランス革命以前のフランスは4つの王朝が成立した。

 カロリング朝 → カペー朝 → ヴァロワ朝 → ブルボン朝

12世紀の国際情勢

 12世紀の日本は、平安時代末期。院政をへて、平清盛政権が成立。そして、12世紀末に鎌倉幕府が成立する。

 中国は、宋王朝の時代。靖康の変で、北半分が満州人の金王朝に奪われる。

十字軍

第1回十字軍

 96年、フランスのクレルモンで宗教会議が実施。フランス諸侯を中心とした十字軍が結成された。99年にイエルサレムを陥落。イエルサレム王国を建国した。

第2回十字軍

 44年、イエルサレム王国のエデッサ伯国がトルコ人(ザンギー朝)によって滅亡する。

 イエルサレム王国救援のために、47年に第2回十字軍が結成された。ここから、国王も参戦するようになる。主要参加メンバーは以下の通りである。

  • フランス国王 ルイ7世
  • ドイツ国王 コンラート3世
  • 両シチリア国王(南イタリア)ルッジェーロ2世
  • テンプル騎士団

 これに対し、イスラム勢力は、ザンギー朝のサラーフ=アッディンを中心に対抗した。

 第1回十字軍と同じように、コンスタンツノーブル(イスタンブール)経由で入った。しかし、翌48年に撤退。海路で南イタリア(シチリア島)経由で帰国する。

アンジュー帝国

カペー朝

 カペー朝は、10世紀後半に成立した王朝である。

 セーヌ川を使って侵攻したノルマン人を撃退したパリ伯のユーグ=カペーが国王に選出した。

 12世紀のフランスは、貴族同士の連合政権であった。フランス国王が実質的に統治していたのは、パリ近郊のみであった。以下では、フランスの有力諸侯を見ていく。

西半分)アンジュー帝国

 フランス最大の有力諸侯は、アンジュー伯であった。

 54年、アンジュー伯は、イングランドの王位を継承。プランタジネット朝を開く。これにより、アンジュー伯は、イングランドを王位を継承とともに、フランスの西半分を統治することになった。

 ヘンリ2世は、アンジュー伯の父とインランドの王女の母の間に生まれた。52年、フランス南西部のアキテーヌ公の1人娘と結婚。アキテーヌ公を兼務する。54年、イングランドのノルマン朝が断絶。ヘンリ2世は、イングランド国王に即位。ぷらすして、イングランド国王がもっていたフランス北部のブルターニュとノルマンディを獲得。アンジュー帝国が完成した。

東の有力諸侯、ブルゴーニュ公

 ブルゴーニュは、フランス南東部。アルプスに近い山間部である。5世紀のゲルマン民族大移動のときには、ブルグント王国が存在した。

 14世紀の百年戦争時には、イングランドと同盟。ヴァロワ伯とフランス王位を争った。

フィリップ2世と第三回十字軍

フィリップ2世

 80年、フィリップ2世がフランス国王に即位。ここからイングランドとの領土奪回を行う。

 89年、神聖ローマ皇帝、イングランド国王とともに第3回十字軍に参加。アッコンを奪回すると、単独で帰国。

 フランスに帰国すると、アンジュー帝国の大陸領土へ侵攻していった。

第3回十字軍

 87年、サラディンによってイェルサレムが再びイスラム勢力下に入った。

 これを受けて、89年に、ローマ教皇インノケンティウス3世が第三回十字軍を結成した。主な参加者は以下の通りである。

  • 神聖ローマ皇帝 フリードリヒ1世
  • イングランド(アンジュー帝国)国王 リチャード1世(ヘンリ2世の子)
  • フランス(カペー朝)国王 フィリップ2世

 90年6月、進軍中の小アジアで、神聖ローマ皇帝が事故死。

 91年、アッコンを奪回。聖地エルサレムへ向かった。しかし、8月、フランス軍と神聖ローマ帝国軍が帰国。

 リチャード1世が単独でイスラム軍と戦い続けた。92年リチャード1世はイスラムと和約。第3回十字軍は終結した。             

領土奪回

経済

農業)三圃制の始まり

商業)遠隔地交易

 11世紀から、遠隔地交易が盛んになった。主な商圏は3つある。

  • 地中海交易圏
  • 北ヨーロッパ交易圏
  • 内陸交易圏

商業)シャンパーニュ

 シャンパーニュは、パリの東の地域である。中心都市はランスである。この地域もカペー朝の直接統治をを行われていた。

 この地域では、定期的に定期市が開催されるようになった。川によって、北ヨーロッパ商業圏と地中海交易圏につながっており、多くの商品が集まり、繁栄した。

 しかし、14世紀に入ると、ポルトガルを通じて北海と地中海を結ぶ航路が開拓され、シャンパーニュの定期市は衰退した。

文化

ノートルダム大聖堂の建設開始

 63年、パリでノートルダム大聖堂の建設が始まる。

 カペー家は、アンジュー帝国に対抗するため、パリの発展を重要視した。その国家事業がノートルダム大聖堂の建設であった。

 13世紀半ばに完成。14世紀半ばに清舟形態になったとされている。この付属施設の教育機関としてパリ大学が開校した。

 フランス革命期には、理性の崇拝を実施。19世紀初頭に、ナポレオンの戴冠式が行われた。