17世紀前半のドイツ ドイツ三十年戦争

17世紀の危機

 17世紀のヨーロッパは困窮した時代であった。16世紀は、大航海時代で多くの富がヨーロッパに集まった。

 しかし、17世紀に入るとバラ色な雰囲気はなくなった。大航海時代によるバブルは終結。新大陸の銀も枯渇。寒冷化によって凶作が続いた。

 貧困は、争いを生んだ。魔女狩りが頻発したのもこの時代である。ドイツ三十年戦争は、こうした貧困な時代に行われた。

ウェストファリア条約

概要

 48年、ドイツ三十年戦争が終結。ウェストファリア条約が締結された。その内容は、以下のとおりである。

  • 宗教の自由の再確認が行われた。
    • アウクスブルクの和議の再確認
      領邦の宗教の自由が認められた。
    • カルヴァン派が公認された。
  • 皇帝の権限が縮小された。
    • 宗教の自由の他に、立法権、徴税権、外交権が各諸侯に与えられた。
    • これにより、ウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」と呼ばれた。
  • カルヴァン派国家のスイスとオランダが独立した。
    • オランダはスペインから独立した。しかし、ベルギー(南ネーデルラント)はスペイン領にとどまった。
    • これにより、オランダ独立戦争は終結した。
  • フランスとスウェーデンが領土拡大した。

 スペインは、別途フランスとピレネー条約を締結。フランス国王ルイ14世は、この時スペイン王室からフィリペ2世の娘を迎えた。その孫が、スペイン継承戦争の下になったフェリペ5世である。

ドイツ三十年戦争

フランスの参戦

 新教徒陣営は、スウェーデン国王グスタフ=アドルフの死によって、劣勢に立たされていた。そこに参戦したのがフランス(ブルボン朝)のルイ13世である。ルイ13世は、太陽王ルイ14世の父である。

 40年、カトリック側最大の国であるスペインで問題が発生した。カタルーニャの反乱とポルトガルの独立である。

 新教徒陣営も、イギリスがピューリタン革命で戦線を離脱した。

スウェーデン戦

 30年、スウェーデン国王グスタフ=アドルフがプロテスタント側で参戦。

  当時のスウェーデンは、北欧の大国であった。しかし、32年、国王グスタフ=アドルフは戦死した。ここから、スウェーデンの衰退が始まる。

 カトリック側でも問題が発生した。カトリック側の英雄ヴァレンシュタインが謀反の疑いで暗殺された。

デンマーク戦

 ベーメンの反乱の2年後の25年、ドイツ30年戦争の第2ラウンドが幕を開けた。新教徒国のデンマーク(クリスチャン4世)が神聖ローマ帝国へ侵攻したのである。デンマークは、同じプロテスタントのイギリス・オランダが資金援助をした。

 フランスは、カトリックであるので表立った支援はしなかったが間接的にデンマークを支援した。

 旧教側では、ヴァレンシュタインが傭兵部隊を組織して活躍した。

 イギリスは、この戦争の戦費調達で、国王と議会が対立。権利の請願が出された。これが17世紀後半のイギリス革命につながる。

ベーメン(チェコ)の反乱

 ドイツ三十年戦争の始まりは、チェコ(ベーメン)であった。チェコは、チェック人と呼ばれる西スラブ人が多く住む地域であった。当時のチェコは、神聖ローマ皇帝が治めるオーストリアに含まれていた。15世紀には、フス戦争という大反乱を起こした。このことから、チェコ(ベーメン)の人々は、ローマ=カトリックを嫌っていた。

 17世紀初頭の神聖ローマ帝国では、アウクスブルクの和議で領主の宗教の自由が認められていた。しかし、領民は領主の主教に従わなければならなかった。そのような中、ベーメンの領主である神聖ローマ皇帝フィルディナント2世は、チェコ(ベーメン)の人々に、ローマ=カトリックを強制した。ベーメンはこれに反発し反乱を起こした。これがドイツ三十年戦争の始まりである。

 本来であれば、神聖ローマ皇帝に領民が勝てるわけがなかった。しかし、ルター派の諸侯がチェコ(ベーメン)を支援。これにより戦力は拮抗。戦争は長期化した。

 この戦争は、オランダ独立戦争の影響も受けた。皇帝(カトリック)側には、スペインが、チェコ(プロテスタント)側にはオランダが支援した。

 23年、ドイツ三十年戦争の初戦は、旧教徒(皇帝)側の処理で幕を閉じた。

プロイセン公国の成立

 プロイセンの始まりは、12世紀の東方植民である。ここで活躍したドイツ騎士団が作った国がプロイセンである。13世紀には、ワールシュタットの戦いでモンゴル軍と戦った。15世紀、ポーランドの大国化によって領土は縮小していった。16世紀に宗教改革が起こると、ルター派に改宗。16世紀初頭にポーランドの1諸侯となった。

 18年、ブランデンブルク選帝侯であるホーエンツォレルン家がプロイセン公国を相続。ブランデンブルク=プロイセン公国が誕生した。

神聖ローマ帝国とは

 神聖ローマ帝国は、10世紀に成立した中欧の国である。神聖ローマ皇帝と領地を持つ諸侯によって構成された。神聖ローマは選挙で江良バラるようになるのだが、16世紀に入ると、おーすストリア領主のハプスブルグ家が独占するようになった。