イラク・サウジアラビアの歴史

概要・地理

イラクは、古代にメソポタミアと呼ばれた地域で中東のほぼ真ん中にある。首都はバグダード。この地域は、イスラーム教が成立する前から栄えた地域。チグリス川とユーフラテス川の間である。その真南にあるのがアラビア半島である。その大部分を占めるのがサウジアラビアです。サウジアラビアには、イスラーム教の聖地であるメッカがある。

現代

冷戦後 動乱と変革の時代

イラクは湾岸戦争、イラク戦争を経てフセイン政権が崩壊しましたが、その後の混乱でISILの台頭を招きました。一方、サウジアラビアなどは「脱石油」を掲げるビジョン2030を推進し、社会改革を加速。イランとの対立やイエメン内戦など課題は多いものの、中東の秩序は再編の最中にあります。

冷戦期 革命、石油、そして戦争

イラクでは1958年の革命で王政が崩壊し、バアス党のサダム・フセインが権力を掌握。サウジアラビアなどはオイルマネーで急速に近代化しました。しかし、イラン・イスラム革命の影響を受けて1980年にイラン・イラク戦争が勃発。地域全体が冷戦と宗教・民族対立の渦に巻き込まれました。

大戦期 独立への胎動と石油

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し、イラクはイギリスの委任統治領を経て独立(イラク王国)。アラビア半島ではアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードが半島を統一し、1932年にサウジアラビアを建国。その後、巨大な油田が発見され、地域の運命を大きく変えることになります。

近代

19世紀後半 近代化の波と列強の関心

オスマン帝国がタンジマート(恩恵改革)を進め、イラクでも行政近代化が図られました。アラビア半島ではサウード家とラシード家が争い、イギリスが湾岸諸国の首長国と保護条約を締結。インド航路の安全確保のため、イギリスのこの地域への影響力が急速に強まった時期です。

16世紀〜19世紀前半 オスマン朝とサウード家の台頭

イラクはオスマン帝国の支配下に入り、サファヴィー朝との間で領有権が争われました。アラビア半島では18世紀、ワッハーブ派と協力したサウード家が勢力を拡大(第一次サウード王国)。厳格なイスラーム回帰運動が広まりましたが、オスマン帝国の命を受けたエジプト軍により一時崩壊します。

中世

12世紀〜15世紀 モンゴルの侵攻と混乱

7世紀〜11世紀 イスラームの勃興と黄金時代

預言者ムハンマドがイスラームを創始し、アラビア半島を統一。続くアッバース朝はバグダードを建設し、科学や哲学が花開く「イスラームの黄金時代」を築きました。イラクは世界の中心として繁栄しましたが、10世紀以降はカリフの権威が失墜し、各地で地方政権が自立し始めます。

古代

紀元後 大国の緩衝地帯と部族社会

イラクはササン朝ペルシアの支配下に入り、ローマ・ビザンツ帝国との抗争の最前線となりました。アラビア半島は、これら大国の勢力争いの影響を受けつつ、多神教を信仰する遊牧民の部族社会が継続。しかし、メッカなどの都市は交易の中継地として徐々に重要性を増していきました。

紀元前 文明の誕生と古代帝国

メソポタミアではシュメール文明が誕生し、楔形文字や車輪を生み出しました。その後、バビロニアやアッシリアなどの強大な帝国が興亡し、ハンムラビ法典が編纂されます。アラビア半島南部では香料貿易でシバ王国が繁栄しましたが、内陸部は遊牧民の部族社会が中心でした。

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