1940年代後半の朝鮮半島 韓国と北朝鮮の建国

朝鮮戦争勃発

 48年、ソ連が指導する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とアメリカが指導する大韓民国(韓国)が成立した。いずれも、朝鮮半島の統一を目論んでいた。

 49年、パワーバランスを崩す大きな事件が2つ起きた。ソ連の核実験の成功と中華人民共和国の成立である。翌50年、北朝鮮は、これを好機とらえ韓国へ侵攻した。これが朝鮮戦争の始まりである。

韓国と北朝鮮の建国

 第二次世界大戦後、旧ファシズム国家の統治について米ソの対立が続いていた。朝鮮半島もその対立にまきここまれた。

 48年9月、北朝鮮では最高人民会議(国会)を開催。憲法を採択。金日成は朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。

 48年8月、北朝鮮では最高人民会議(国会)の選挙を実施。しかし、これは形式的なものに過ぎなかった。一方で、韓国では大韓民国憲法に基づいて大統領選挙を実施。李承晩氏が大統領に選出された。李承晩大統領は大韓民国建国を宣言した。

 48年7月、大韓民国憲法が成立した。

 48年5月、韓国で、憲法制定議会のための総選挙を実施。

 48年4月、済州島で南側だけの単独選挙への反対運動が発生。軍によって鎮圧された。一方、モスクワでは北朝鮮の憲法草案がまとめられた。

 47年、国際連合で、南北同時選挙を決議。しかし、ソ連が拒否権を発動。アメリカは南側のみの単独選挙を実行した。

米ソの進駐

 45年8月15日、日本がポツダム宣言受諾。朝鮮半島から撤兵した。韓国では、これを「光復節」という。

 日本が朝鮮半島から撤兵すると、ソ連軍がすぐに進駐。24日には平城(平壌)に入城した。アメリカはあわててソ連と協議。38度線で分割占領することが決まった。これに基づき、9月8日アメリカ軍は仁川(ソウル郊外の港町)に上陸した。

 45年12月、米英ソで外相会談を実施。5年で朝鮮半島を独立させることが決まった。しかし、大国の勝手な取り決めに、朝鮮半島の人々は反発した。なぜなら、朝鮮半島は第二次世界大戦期において主たる戦場にはなっていなかったからである。