1世紀の朝鮮半島

1世紀の東アジア情勢

光武帝

 紀元前2世紀から2世紀までは、中国では漢王朝が支配していた。1世紀は、光武帝の時代である。北方の騎馬民族である南匈奴を服従させ、ベトナムの反乱を鎮圧した。

 このころ、日本も朝貢を行っている。福岡県の志賀島で発見された金印は、光武帝からの賜りものである。

 光武帝は、王莽のクーデターで使えなくなった長安を捨て、洛陽に遷都した。そのため、光武帝以後の時代を後漢(ごかん)、それ以前の時代を前漢(前漢)という。なお、中国では都の一から後漢を東漢、前漢を西漢という。

王莽

 しかし、1世紀初頭の漢王朝は混乱期にあった。8年に外戚(皇帝の母方の一族)で王莽(おうもう)がクーデターをおこし、皇帝の地位を簒奪した。この王朝を新王朝という。

 しかし、18年の赤眉の乱がおき、新王朝は滅亡。漢王朝の血を引く豪族である劉秀が皇帝についた。彼が、光武帝である。

1世紀の朝鮮半島

 1世紀の朝鮮半島は、北半分は漢王朝が支配した。朝鮮半島には、4つの郡が置かれた。その代表が漢王朝に最も近い平壌周辺をおさめた楽浪郡である。

 当時の平壌には漢民族だけでなく、漢王朝へ使いを送る周辺国の使節が集まった。