1920年代の朝鮮半島 文化政策

政策転換 文化政策

三・一独立運動

 朝鮮半島は、20世紀前半日本の支配下にあった。10年代までは、その統治は軍隊が行っていた。

 19年、朝鮮半島で独立をお求めるデモがあちこちで開催された。これによって、日本政府は朝鮮半島の統治スタイルを転換した。

政策

朝鮮総督の武官制の廃止

 朝鮮併合時、朝鮮総督は当初陸軍もしくは海軍の大将とされた。文化政策でこの条項は撤廃され、文官(軍人以外の官僚)でも朝鮮総督になることができるようになった。ただ、実態は陸軍のポストの一つになっていた。

警察制度の導入

 朝鮮併合時、朝鮮に警察はなく憲兵(軍隊の警察)が警察機能を担った。20年代に入ると、けん憲兵制度から警察制度へ移行した。

朝鮮人官吏の採用

 日本政府は、反日派の弾圧を行う一方で、親日派の朝鮮人を役人として採用するようになった。

皇民化政策と教育

 朝鮮人にも、日本と同じ義務教育制度を導入した。週10時間の日本語教育が行われた。

大学の設立

 24年、ソウル帝国大学が創設された。この大学は1946年アメリカ軍の支配下に入ると閉鎖された。

言論、出版、集会の自由の一部容認

 朝鮮半島でも表現の自由は認め垂れた。しかし、25年の治安維持法は朝鮮半島にも適用された。そのため治安維持法によって表現の自由が制限された。

当時の経済は

 20年代の日本経済はアメリカとは対照的に不況に入っていた。ヨーロッパ経済が次第に回復。アジア諸国は日本製品から宗主国の製品を購入するようになった。さらに23年には関東大震災が発生。日本人の生活は困窮した。

 一方、韓国経済はどのようになっていたのだろうか。関東大震災で日本は物資不足。韓国米の大量輸入が行われた。