1940年代前半の朝鮮半島 WWⅡと朝鮮半島

日本の植民地支配

 20世紀前半の朝鮮半島は日本の支配下にあった。この時代の朝鮮半島の歴史は日本の統治スタイルによって3つに分けられる。

武断政治1910年代軍人による統治
同化政策1920年代韓国人と日本人を同等にあつかう
軍事統治1930年代以降日中戦争の軍事拠点として朝鮮半島

朝鮮半島の独立

カイロ会談

概要

 朝鮮半島の独立について、初めて話し合われたのは42年11月のカイロ会談の時である。このとき、はじめて米英は、朝鮮のド独立を日本に対して要求した。

背景

 42年6月、アメリカ海軍がミッドウェー海戦で日本海軍に勝利した。連合国(イギリス、アメリカ)は戦後構想への協議が始まった。

 43年11月6日、日本の東条英機内閣が大東亜会議を開催。大東亜共栄圏構想の正統性を主張した。すなわち、英仏のアジア植民地支配の否定である。当時フランスはナチスドイツの支配下にあったので、影響があったのはイギリスのみであった。

 イギリスのチャーチル首相は、これに脅威を感じた。そこで、アメリカのF=ローズヴェルト大統領のほかに、中華民国(国民党)の蒋介石とカイロ(エジプト)で会談。43年11月23日のことである。43年12月1日、英仏中はカイロ宣言を発表した。

内容

 41年の日米交渉の際、朝鮮半島については議論に上がらなかった。しかし、蒋介石(中華民国)を味方につけたことで、朝鮮半島についても議論の対象になった。カイロ宣言では、「朝鮮半島は適当な時期に独立する」とされた。蒋介石(中華民国)は、朝鮮半島の宗主権を主張するまでには至らなかった。

 なお、この会議の後に米英ソのテヘラン会談になる。すなわち、カイロ宣言はスターリン抜きで行われている。なお、テヘラン会談では、スターリンはドイツ降伏後に対日参戦を約束した。その後の東アジア(日韓中)についてはあまり議論されなかった。

ポツダム宣言

ヤルタ会談

 45年2月、クリミア半島のヤルタで米英ソのの首脳会談が開かれた。この頃には、イタリアはすでに降伏。ドイツもまだフランスを支配していたが劣勢になっていた。日本もサイパンが陥落。日本の主要都市に対する空襲が始まった。

 そのような中、ソ連のスターリン書記長はドイツ降伏の3か月後に対日参戦を行うことを約束した。この見返りに求めたのは、千島列島と樺太、満州であった。この時、朝鮮半島までの領土は求めなかった。

ポツダム宣言

 5月にドイツが降伏。7月、ベルリン近郊(ドイツ)のポツダムで米英ソの首脳会談が行われた。日本の降伏条件であるポツダム宣言が発表された。

 ポツダム宣言では、領土問題についてはカイロ宣言からの変更はなかった。朝鮮半島も適当な時期に独立することになった。

米ソの朝鮮半島分割統治

ソ連亡命中の抗日部隊の侵入

 8月14日、日本はポツダム宣言を受諾。満州、朝鮮から日本人は撤退した。同じ頃、沿海州(ソ連)に亡命していた抗日部隊が朝鮮半島へ侵入した。アメリカのトルーマン大統領が、これに待ったをかけた。米ソの協議で朝鮮半島は38度線で米ソが分割統治を行うことになった。9月、アメリカのマッカーサーはソウル近郊の仁川に上陸。朝鮮半島南部の統治を開始した。

朝鮮総督府のその後

 日本軍撤退後、ソウルにあった朝鮮総督府は大韓民国の政府庁舎として利用された。しかし、朝鮮戦争で焼失。まもなく再建された。

 83年、国立中央博物館となった。戦後50年後の95年8月15日、金泳三大統領は忌まわしき過去として朝鮮総督府の解体を決定。現在は朝鮮総督府が建設される前の景福宮に戻っている。

日本軍の朝鮮半島支配

満州国

 朝鮮の北には、ソ連が支配するウラジオストークなどの沿海州と、日本が建国した満州国があった。満州国は31年に建国。清王朝最後の皇帝溥儀を皇帝とする王国であった。

 41年の日ソ中立条約によって、44年8月までソ連軍が侵攻することはなかった。

徴兵制

 38年、日中戦争が本格化すると、日本軍は朝鮮で志願兵制度を導入した。敗色が濃厚になった44年には徴兵制が朝鮮半島にも適用された。

徴用工問題

 徴用工問題とは、日本の植民地時代に朝鮮人が日本に連れてこられ、劣悪な労働環境で働かされた問題である。

 日中戦争が本格化した38年、日本で国家総動員法が成立。政府が労働者の配置を決めることができるようになった。しかし、この法律は朝鮮半島などの植民地には適用されなかった。39年7月、労働動員計画が施行。朝鮮人労働者が日本へ渡るようになった。44年9月、日本の敗色が濃厚になると、国家総動員法(国民徴用令)が朝鮮半島にも適用された。

従軍慰安婦問題

 従軍慰安婦とは、兵士を相手にした慰安をした女性のことである。韓国政府や韓国のマスコミは、第二次世界大戦時に朝鮮人女性が本人の意思に反して従軍慰安婦として働かされたとして日本に補償を求めた。日本政府は従軍慰安婦について調査を行った。当時日本軍が朝鮮人女性を強制連行した証拠を見つけることができなかったと日本政府は発表した。また、韓国とアメリカの大学で共同で調査を行った。この際、経済的な理由やブローカーにだまされた従軍慰安婦として働いた朝鮮人女性がいたことが判明した。