2010年代の朝鮮半島 韓流ブームと反日感情

 2020年現在、日本では第3次韓流ブームが到来している。TWICEはその一例である。一方で、徴用工問題などで日韓関係はかなり悪化している。今回は、ここ10年の朝鮮半島の歴史をみていきます。

文在寅(ムンジェイン)政権

政権交代

 17年3月、セヌリ党(現、自由韓国党)の朴槿恵大統領が弾劾されると、民主党の文在寅大統領が誕生した。

日本抜きの南北交渉

 政権交代によって、南北交渉は急速に進んだ。18年12月の平昌冬季オリンピックに、北朝鮮が参加。同年4月南北首脳会談(文在寅、金正恩)が実現した。この会談をうけて、18年6月、シンガポールで史上初の米朝首脳会談(トランプ=金正恩)が実施された。

 現在(2020年)の北朝鮮は、核開発疑惑や飛翔体(ミサイル?)の発射でアメリカから経済制裁を受けている。金正恩はこの経済制裁会場に向けて交渉している。

徴用工問題で日韓関係は悪化

 18年10月、大韓民国の最高裁判所で徴用工に対する賠償金の支払い命令が出た。

 徴用工問題とは、第二次世界大戦期の日本企業が韓国人労働者に対して行った非人道的行為への賠償問題である。日本の安倍政権は、徴用工の賠償金は65年の日韓請求権協定に含まれていて解決済みとしている。韓国の文在寅政権は、65年の日韓請求権協定には個人への賠償は含まれていないとしている。

第3次韓流ブーム

 日韓関係の悪化から、韓国芸能界は拠点を日本市場から中国市場へきりかえていた。しかし、16年にTAHHDミサイル配備で中韓関係は悪化。中国政府は、韓流禁止令をだした。

 第3次韓流ブームの代表格は、女性アイドルグループTWICEである。第三次韓流ブームは、TikTokなどのSNSを通じて中高生を中心に広がった。

朴槿恵(パククネ)政権

親日派の勝利

 12年12月の大統領選挙は、朴槿恵氏と文在寅氏の一騎打ちとなった。

 朴槿恵氏は、朴正煕元大統領の娘で、親日派としてしられていた。李明博前大統領とおなじセヌリ党員で、あっせん収賄の問題で逆風が吹く中での選挙であったが辛くも勝利した。

財閥スキャンダル

 このころ、韓国では財閥のスキャンダルが頻発した。有名なものではナッツリターン事件が挙げられる。14年のセウォル号事件は国民の財閥への批判を強めた。

 韓国経済は、十大財閥が大部分を占めているサムスン電子やお菓子のロッテはその一例である。韓国では、十大財閥に就職できるかで今後の人生が大きく変わる。そのため韓国の受験戦争はかなり厳しい。韓国の財閥は家族経営が基本である。現代版の韓流ドラマのストーリーは、貧しい家庭で育った女性が財閥の御曹司にみそめられ、財閥の生活に苦難するストーリーが多い。

 財閥は、朝鮮戦争後の60年代から形成を始めた。三代目に当たる人たちが社会に出始めたのがこのころである。90年代のアジア通貨危機や00年代のリーマンショックで厳しい就職活動を行っている若者にとって財閥のご子息たちは攻撃の対象としてみていた。

弾劾により罷免

 16年10月、友人に対して政治的便宜をはかったとしたスキャンダルが発覚した。財閥スキャンダルが連日報道されている中での事件である。ソウルでは連日デモが開催された。

 16年12月、国会が弾劾決議を行い、大統領権限停止。翌17年3月、憲法裁判所が大統領の罷免を決定。同3月、朴槿恵前大統領は検察に出頭。塀の中へ向った。

李明博(イミョンバク)政権

竹島上陸

 李明博大統領は、就任当初親日的な政策を展開していた。リーマンショックで民主党政権が誕生すると日韓関係は良好になった。ウォン安に対応するため、民主党政権は通貨スワップ契約を増額した

 このような良好的な関係は、崩れた。11年12月従軍慰安婦の支援団体が、駐韓日本大使館前に従軍慰安婦像を設置した。これにより、日韓関係は急速に悪化した。民主党の協調外交が裏目に出たことになる。

 12年07月、李明博の兄があっせん収賄で逮捕されると、支持率が急落した。大統領選挙の年のため急速な支持率回復が必要になっていた。

 李明博大統領は、支持率回復のために反日政策を急速に進めた。その代表例が竹島上陸である。

 
 日韓関係が急速に悪化。円安ウォン高も重なって韓流ブームが終わる。また、民主党政権は通貨スワップ契約の更新を拒否した。

北朝鮮では金正恩体制が確立

 11年12月 北朝鮮、金正日死去。金正恩体制が確立。

 李明博大統領は、廬武鉉(ノムヒョン)大統領の北朝鮮政策を改めた。無条件の経済支援から核の放棄を条件とした経済支援に転換した。そのため、北朝鮮は李明博大統領を敵視していた。

第二次韓流ブーム

 東方神起、少女時代、KARAなど韓流アーティストが日本の音楽界を席巻した。この背景にはウォン安で安くアーティストを呼べることもあった。

 しかし、李明博政権の竹島上陸などで日韓関係が急速に悪化、円安ウォン高も重なって第二次韓流ブームは終わった。

日韓通貨スワップ協定

 リーマンショックによって韓国ウォンは急落した。大韓民国は2度目の通貨危機に襲われた。そのため、李明博大統領は日韓通貨スワップ協定の交渉を急いだ。

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