紀元前2世紀のギリシャは北方にマケドニアが、南部にアカイア同盟が存在した。トルコは、セレウコス朝シリアの支配を受けていた。
紀元前2世紀、ギリシャは共和政ローマの支配下に入った。
ギリシャ、共和制ローマの属州へ
共和政ローマは、マケドニアを支配すると、その刃をギリシャに向けた。これにより、アカイア同盟(ギリシャ)、共和制ローマの属州になった。
マケドニア戦争
アンディゴノス朝マケドニア
マケドニアは、紀元前4世紀のアレキサンダー大王の時代にオリエントを統一したかつての大帝国である。しかし、アレキサンダー大王の死後にセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトが独立。紀元前2世紀にはバルカン半島の1国になっていた。
第3回 マケドニアの滅亡
アンディゴノス朝マケドニアは、再び共和政ローマへ侵攻した。マケドニアは敗北。共和政ローマの属州となった。
第2回 ギリシャをめぐる戦い
マケドニアはセレウコス朝シリアと同盟を結んだ。これに対し、南ギリシャのアカイア同盟は脅威を感じ、共和政ローマに援軍を求めた。ここに第2回マケドニア戦争が勃発した。
この戦争の最中に、カルタゴのハンニバルもマケドニアに亡命した。
マケドニアはこの戦争で共和政ローマに敗北。属州にはならなかったが、多額の賠償金を支払った。また、この戦争でハンニバルは自殺した。
第3次ポエニ戦争
マケドニアが滅亡すると、共和政ローマは再び北アフリカのカルタゴに侵攻。カルタゴを属州にした。