紀元前5世紀の古代ギリシャ ペルシャ戦争

紀元前5世紀、古代ギリシャ最大の危機を迎えていた。アケメネス朝ペルシャの侵攻(ペルシャ戦争)である。ペルシャ戦争に勝利後ギリシャは内乱の時代を迎える。

ペロポネソス戦争

 ペルシャ戦争に勝利したギリシャのポリス軍はアテネを盟主としたデロス同盟を結成した。

 これに脅威を感じた国が2つあった。1つはアケメネス朝ペルシアである。もう一つは、鎖国政策をおこなっているスパルタであった。スパルタはアケメネス朝ペルシアの財政支援を受けて、アテネへ侵攻した。当初、アテネは優勢であった。しかし、この頃に疫病が流行した。将軍ペリクレスが病死、アテネは有能な指揮官を失い混乱。ペルシャと結んだスパルタが勝利した。

 しかし、スパルタがギリシャの盟主になることができなかった。このあと、アテネ、スパルタ、テーベによる3つ巴の内乱が続いた。この内乱と疫病でギリシャは次第に衰退していった。

ギリシャの直接民主政

 ペルシャ戦争で活躍した市民は参政権を求めるようになった。紀元前5世紀半ば、将軍ペリクレスの指導の下、直接民主制が行われた。裁判官(司法)や役人(行政)は抽選で市民から選ばれた。議会は市民全員が広場(アゴラ)に集まり行われた。

 ただし、政治に参加できたのは市民の男子のみであった。女性、奴隷、外国人の参政権はみられなかった。当時の市民は農作業を奴隷に任せていたので政治に参加する時間が十分にあった。そのため、直接民主制も可能であった。

ソクラテス

 紀元前5世紀後半、新しい哲学者が登場した。ソクラテスである。ソクラテスは民主化とペロポネソス戦争の混乱期を生き抜いた哲学者である。紀元前5世紀、ソフィストと呼ばれる職業教師が誕生した。ソクラテスは彼らに論争を続けた。ソクラテスの考えに「無知の知」がある。

 ソクラテスは民主政に批判的であった。それは紀元前6世紀のペイシストラトスの僭主政治を知っていたからである。しかし、アテネ市民の反感をうけて、処刑された。

 ソクラテスの考えは、紀元前4世紀前半のプラトンに受け継がれた。

三大悲劇詩人

 民主化されたアテネでは、喜劇や悲劇のコンテストが模様刺された。その中で登場したのが三大詩人である。アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスである。また、喜劇作家としてはアリストファネスが名を挙げた。

ペルシア戦争

 紀元前5世紀、ギリシャの近くには大帝国アケメネス朝ペルシアが存在した。アケメネス朝はペルシャは小アジアからインドのインダス川まで広がる大帝国であった。紀元前5世紀初頭この大帝国がギリシャへ侵攻したのである。

 きっかけは、小アジア(トルコ西部)のギリシャ人の反乱である。当時アケメネス朝ペルシアはフェニキア人を利用して地中海交易を進めていた。フェニキア人にとってギリシャ人は地中海交易の商売敵であった。フェニキア人はアケメネス朝ペルシアをりようしてギリシャを排除しようとした。こうして、紀元前500年にペルシャ戦争は始まった。

 90年、マラトンの戦いで、アテネ市民の重装歩兵がペルシャ軍に勝利した。この伝令がもとになって、マラソンという競技が登場した。

 80年、サラミスの海戦でギリシャ連合軍がペルシャを撃退した。この時活躍したのが無産市民である。無産市民は船の漕ぎ手としてこの戦争に参加した。

 こうして、ペルシャ戦争は多くの市民の功績によりギリシャが勝利。ポリスの独立と自由を守った。