紀元前7世紀
ユダヤ人国家(シリア)
紀元前7世紀末、アッシリア帝国が崩壊すると、シリアの大部分は新バビロニア王国(イラク)の支配下に入った。
一方で、シリア南部のユダ王国は独立を維持し続けていた。
リディア王国(トルコ)
紀元前7世紀末、アッシリア帝国が崩壊すると、建国された。世界最初の金貨を鋳造した。この金貨はギリシャの商人を通じて地中海全域に広まった。
アテネの民主政
ギリシャは、自由人としての市民と市民に隷属する奴隷に分かれていた。市民も貴族と平民に分かれていた。
7世紀初頭、ギリシャは少数の貴族によって政治が行われていた。貴族は富裕層であり、高価な鉄製武具を身に着け、騎馬に乗り戦士として国を守った。市民は、政治には参加しないものの、土地や奴隷を使って農業を営んだ。奴隷は、人格は認められず売買の対象とされた。彼らは、借財で市民から転落したり、戦争捕虜になったりしたものであった。海外から輸入される異民族も多かった。奴隷の大部分は異民族であった。
当時の有力なポリスには、イオニア系のアテネとドーリア系のスパルタがあった。
アテネは、貴族による政治が行われていた。ドラコンが法律を成文化し市民にもわかるようにした。それまで、刑罰や裁判は貴族のさじ加減で決まっていた。しかし、成文化によって、法律にもとづいて、刑罰や裁判が行われるようになった。
スパルタは、リュクルゴスの改革で鎖国政策をとり、他のポリスとの交流を禁止した。
ローマ王政
ローマでは、北部のエトルリア人の王がローマを支配していた。
カルタゴ(北アフリカ)
カルタゴは、紀元前9世紀末にフェニキア人が建設した港湾都市である。
アッシリア帝国のオリエント統一
メソポタミア(イラク)北部にあったアッシリア帝国は、7世紀前半にエジプトを含むオリエント全域を征服した。しかし、この統治は長くは続かず。7世紀末(612年)に崩壊した。
紀元前9世紀~8世紀
ギリシャの植民市
紀元前8世紀、ギリシャは400年(紀元前12世紀~紀元前8世紀)にわたる暗黒時代は終わった。この期間に人口は大幅に減少。線文字Bも忘れ去られた。青銅器から鉄製武具に代わった。ギリシャ人は方言のちがいから、イオニア人、アイオリス人、ドーリア人に分かれた。
ギリシャ人は、城山(アクロポリス)を中心に集住(シノイキモス)した。これらの都市をポリスという。ギリシャ人はポリスで生活することで異民族などからの脅威からのがれ、安心した生活が営めるようになった。
8世紀半ばになると、土地が不足するようになった。彼らは海に飛びした。地中海沿岸や黒海沿岸に植民市を建設した。
ギリシャ人は、フェニキア文字を応用したアルファベットを使用するようになった。これにより、ホメロスの叙述詩のような文学が発展した。
ポリスは、オリエントと違い統一国家を作ることはなかった。しかし、交流は盛んで4年に一度オリンピックが開かれた。また、同じ言葉を話すものとヘレネス、それ以外のものをバルバロイとして区別していた。
フェニキア人の植民市
フェニキア人は、紀元前9~8世紀にかけて地中海沿岸に多くの植民市を作った。北アフリカのカルタゴ(チュニジア)もその一例である。
紀元前8世紀、ギリシャ人も植民活動を開始するとフェニキア人とギリシャ人の勢力争いが始まった。
紀元前13世紀~10世紀
シリアの商業民族
シリアは、メソポタミア(イラク)など中東諸国とエジプトなどの地中海沿岸諸国を結ぶ貿易港である。紀元前1500年頃からセム語系のカナーン人の交易で栄えていた。
紀元前13世紀、「海の民」の影響で強国であったヒッタイトやエジプト新王国が滅亡。シリアのセム語系民族が台頭した。
ファニキア人
紀元前1200年頃シリア沿岸部に登場。シドン・ティルスなどの都市国家を建設。地中海交易を独占した。
表音文字を使い、アルファベットの起源となったフェニキア文字を使用した。
アラム人
紀元前1200年頃シリア内陸部に登場。ダマスクスを拠点に陸上交易で栄えた。アラビア文字の原型を作った。
ユダヤ人(ヘブライ人)
ヘブライ人はユダヤ人の祖先である。紀元前1500年頃、シリア南部(現在のイスラエル)に定住するようになった遊牧民族である。
紀元前13世紀、エジプトから指導者モーセが帰国。旧約聖書の出エジプトのもとになった。
紀元前10世紀、ダヴィデ王とソロモン王の時代に最盛期を迎えた。しかし、紀元前10世紀末、ヘブライ人国家は南北に分裂した。北部のイスラエル王国と南部のユダ王国である。
紀元前8世紀後半(722年)、北部のイスラエル王国はアッシリア帝国によって滅ぼされた。
南部のユダ王国は、その後も存続。紀元前6世紀後半、新バビロニア王国によって滅んだ。
ギリシャ暗黒時代
紀元前13世紀、エーゲ海周辺にはミケーネ文明の諸王国があった。これらの国々は紀元前13世紀末ごろに、次々と滅んだ。しかし、その理由は明らかになっていない。
その後、400年間ギリシャでは人口の減少が続いた。これを暗黒時代という。この期間に、鉄器がギリシャに伝わった。
ドーリア人がギリシャへ
紀元前12世紀初頭、「海の民」で混乱するギリシャにドーリア人が侵入した。ドーリア人は多くのポリスを作りアカイア人などの先住民族を奴隷にした。その代表例がスパルタである。
東地中海に海の民
紀元前12世紀頃、ギリシャ沿岸に「海の民」と呼ばれる人々が進出。「海の民」がどのような民族であるかは2020年現在でもあきらかになっていない。
これにより、小アジアのヒッタイトやエジプト新王国が滅んだ。
世界最古の国際条約
紀元前13世紀初頭、ヒッタイト(トルコ)とエジプト新王国は、シリアをめぐり戦争を行った。これがカデシュの戦いである。
この戦いは決定的な勝敗は決せず、講和条約が締結された。これが世界最古の国際条約となった。
紀元前13世紀以前
ヒッタイト(トルコ)と鉄
紀元前17世紀後半、小アジア(トルコ)にインド=ヨーロッパ語族のヒッタイトが国家を建設した。彼らは製鉄技術を持ち、強力な鉄製武具を使用した。
ヒッタイトは、メソポタミア(イラク)へ侵入。古バビロニア王国を滅亡させた。一方でシリアをめぐりエジプトと戦った。
ギリシャのエーゲ文明
エーゲ文明とは
エーゲ文明とは、東地中海で成立した文明である。
ミケーネ文明
紀元前2000年頃、クレタ島でクレタ文明が栄えていた。同じ頃、ギリシャ本土ではアカイア人の移住が進んでいた。
紀元前16世紀、クレタ文明やオリエントの影響をうけたミケーネ文明が登場した。主な都市は、ミケーネ、ティリンス、ピュロスなどである。巨石で作った城塞王宮を中心とした小王国が多く存在した。
紀元前15世紀には、クレタ島を征服。小アジア(トルコ西部)のトロイにまで及んでいた。
ミケーネ文明の諸王国は、王が役人組織を使って農民から農産物や武器などの手工業品を貢納として取り立てて生計を立てていた。これを貢納王政という。王は、貢納品をつかって王宮で働く職人や奴隷を養っていた。これらの国は線文字Bを使っていた。線文字Bの解読により、当時のことが明らかになった。
クレタ文明
エーゲ文明は、紀元前2000年頃のクレタ島だ始まった。これをクレタ文明という。壮大で複雑な構造をもつ宮殿が特徴。クノッソス宮殿がその一例である。外部勢力への警戒心はなく、城壁がなかった。宮殿の壁画には人物や海の生き物が描かれていた。
クレタ文明では、線文字Aを使用していた。これはのちのミケーネ文明の線文字Bの下になった。2020年現在、線文字Aの解読は成功していない。