アン女王戦争とは
アン女王戦争は、第二次英仏百年戦争の一つ。18世紀初頭のスペイン継承戦争期に、アメリカで行われた戦争である。
ちなみに、アン女王はイギリススチュアート朝の最後の女王である。名誉革命でイギリス女王になったメアリの妹。スコットランドとの往復につかれて、スコットランドとイングランドを合同させた女王である。
第二次英仏百年戦争とは
17世紀後半、フランスの太陽王ルイ14世がイギリス海外植民地をめぐり起こした戦争。舞台は、アメリカとインドである。一連の戦争は次のとおりである。
アメリカ | ヨーロッパ | インド | |
17世紀末 | ウィリアム王戦争 | ファルツ戦争 | |
18世紀初頭 | アン女王戦争 | スペイン継承戦争 | |
18世紀半ば | ジェンキンスの耳戦争 ジョージ王戦争 | オーストリア継承戦争 | カーナティック戦争 |
18世紀半ば | フレンチ= インディアン戦争 | 七年戦争 | プラッシーの戦い |
18世紀後半 | アメリカ独立戦争 |
イギリスは、アメリカ独立戦争でアメリカを失うが、インドの植民地化に成功。アジアアフリカ地域に大英帝国を築くことになる。一方で、フランスは一連の戦争で財政難になり、18世紀末のフランス革命につながる。
スペイン継承戦争
スペイン継承戦争とは、スペイン王位をめぐるフランス=ブルボン家とオーストリア=ハプスブルク家の戦いである。
17世紀末のフランスは、絶対王政の絶頂期である。ヴェルサイユ宮殿を作った太陽王ルイ14世の時代である。
一方、スペインは、16世紀のカール5世から始まるスペイン=ハプスブルク家が続いていた。スペインはアメリカと太平洋に広大な植民地を保有していた。巨万の富をもたらすアメリカ植民地のアシエント権の選定権を持っていた。
00年、スペイン=ハプスブルク家が断絶。太陽王ルイ14世は自分の后をスペイン=ハプスブルク家であることを主張して自分の孫(フェリペ5世)をスペイン王にしようとした。これに待ったをかけたのが、オーストリア=ハプスブルク家である。オーストリアも、スペイン=ハプスブルク家から后を迎えていた。オーストリアは、オランダ・イギリスと同盟を結び、スペイン継承戦争が始まった。
エール大学
01年、コネチカット州に3番目の大学としてエール大学が創立された。04年にはボストンで「ニュース=レター」が創刊された。