1790年代のアメリカ 連邦派 VS 反連邦派

ワシントン死去

ワシントンの引退

 96年、ワシントン大統領は2期8年の任期を終えて引退した。以後、ワシントン大統領の意思を尊重して、慣習として大統領は2期8年でいんたいした。第二次世界大戦中の1940年代にF=ローズヴェルト大統領が3期12年を行ったったため、51年合衆国憲法で大統領の任期が記載された。

 96年、大統領選挙ではフェデラリスト党のアダムスがリバブリカン党のジェファソンに勝利した。99年、ワシントン元大統領は亡くなった。00年の大統領選挙では、リバブリカン党のジェファソンが勝利した。

ワシントンDCの建設

 アメリカ合衆国の首都をどの州に置くかは重要な問題であった。89年合衆国成立当時は、ニューヨークに首都がおかれた。90年の議会で、首都はどの州にも属さない新しい都市を建設することにした。それまではフィラデルフィアを首都とすることにした。

 00年、新首都が建設された。第二代大統領アダムスはこの都市をワシントンDCと名付けた。

フランス革命

第1回対仏大同盟に不参加

 アメリカ独立戦争の精神はヨーロッパへ波及した。89年フランス革命が勃発した。93年、フランス国王ルイ16世が処刑。イギリス政府は第1回対仏大同盟を結成した。

 ハミルトンら、フェデラリスト党は第1回対仏大同盟への参加を検討した。しかし、ジェファソンらリバブリカン党の反対で参加することはなかった。

フランス領ハイチ 黒人奴隷の反乱

 フランス革命の影響をうけて、中米フランス領ハイチで黒人奴隷が反乱を起こす。19世紀前半、ヨーロッパで市民革命が進んでいく一方で、新大陸では黒人奴隷の人権問題が政治を動かしていく。

アメリカ合衆国の政治

三権分立

 アメリカ合衆国は、国王の代わりに直接選挙で選ばれて大統領を置くこととした。しかし、大統領の独裁にならないように、立法権は連邦議会に、司法権を最高裁判所に移した。この考え方はモンテスキューの『法の精神』(1748年)で紹介された三権分立を利用したものである。

ワシントン大統領

 88年大統領選挙で勝利したワシントンが政治を指揮した。財務長官(日本でいう財務大臣)には、フェデラリスト党のハミルトンが、国務長官(日本でいう外務大臣)には、リバブリカン党のジェファソンがついた。

 ジェファソンは、独立戦争期にヨーロッパでロビー活動を展開。ロシアの武装中立同盟やフランスの参戦を陰で支えた。

連邦制 or 地方分権

 アメリカ独立戦争は、13植民地が連合してアメリカ本国と戦った戦争である。しかし、独立戦争が終結した後、連合する必要性はなかった。

 ハミルトンやアダムスなど、北部の人々は各植民地の権限を連邦政府へ集約しようとした。これに対し、ジェファソンら南部の人々は各植民地の権限を維持しようとした。ハミルトンら北部の人々はフェデラリスト党(連邦党)を、ジェファソンら南部の人々はリバブリカン党(共和党)をそれぞれ結成。このようにして初期議会はフェデラリスト党とリバブリカン党の2大政党制で始まった。

 90年代は、フェデラリスト党が与党、リバブリカン党が野党であった。しかし、00年に政権交代。リバブリカン党ジェファソン大統領が誕生した。

フェデラリスト党リバブリカン党
各州の債務は連邦政府が肩代わり
合衆国全体で返済を行う
州の債務早く返済
国債発行に反対
高い税金で軍備を整える税制減税
高関税政策貿易政策関税に反対
賛成合衆国銀行の設立反対
常備軍としての連邦軍の創設軍隊民兵で大丈夫
親イギリスフランス革命中立