1910年代の世界 第一次世界大戦

1930年代、人々の生活は困窮し、街には失業者があふれていった。その原因は、1929年の世界大恐慌である。今回は、世界大恐慌に対した各国がどのように戦っていったのかを見ていきます。

各国の状況

1920年代 黄金の20年代

 1930年代は、29年に始まった世界大恐慌の対応に追われた。特に深刻な影響を受けたドイツでは、ナチ党が躍進。ヒトラーが政権をとると、再軍備を開始。領土拡張へ動き出した。

1900年代 帝国主義と日露戦争

 10年代、史上最悪の戦争ある第一次世界大戦が勃発。女性や植民地の人々を巻き込んだ総力戦となった。この戦争で、男女平等や植民地の自治拡大が叫ばれるようになった。

年代別後半

1920年 国際連盟発足

 ウィルソン大統領の平和十四原則に基づいて国際連盟が発足。

 日本では、大戦景気が終わり戦後不況に入る。その影響で第1回メーデーが始まる。総選挙では、立憲政友会が圧勝。原敬政権が誕生した。

 第一次世界大戦に敗戦したドイツではナチ党が成立。

1919年 ヴェルサイユ講和条約

 ヴェルサイユで第1次世界大戦の講和会議が行われた。予想に反してアジア各国の主権が認められなかったため、アジア各地で反対運動が起こった。この会議で、対華21か条の要求は追認された。

 ヨーロッパでは、ソ連がコミンテルン(第三次インターナショナル)を発足。敗戦国のドイツでは、ヴァイマル憲法を制定。ヴァイマル共和国が成立。

1918年 第一次世界大戦が終わる

 第一次世界大戦下で行われた1月のアメリカの一般教書演説で、ウィルソン大統領は平和十四原則を発表。第一次世界大戦は、ドイツで革命が起こり終結した。

 第一次世界大戦が終わると、ソ連への干渉戦争であるシベリア出兵が始まった。

 日本では、米価が高騰し、米騒動が起こる。これにより、寺内内閣が退陣。立憲政友会の原敬内閣が成立する。

1917年 ロシア革命

 第一次世界大戦の長期化で国民の不満は高まっていた。それが最初に爆発したのがロシアであった。二月革命で、ロマノフ王朝が崩壊。資本家による政権が樹立された。第一次世界大戦も継続された。しかし、十月革命で社会主義政権が成立。第一次世界大戦から離脱した。

 中華民国では、文学革命が起こる。イギリスはバルフォア宣言を発表。ユダヤマネーを獲得する代わりに、パレスチナにユダヤ人国家の建国を約束した。(三枚舌外交)。一方で、中立を保っていたアメリカがイギリス陣営で参戦した。

1916年 サイクス=ピコ協定

 イギリス・フランス・ロシアでオスマン帝国の分割案を締結する。サイクス=ピコ協定である。

年代別前半

1915年 対華21か条要求

 日本は、中華民国の袁世凱政権に対して対華21か条の要求を出す。経済では、大戦景気となり、成金といわれる金持ちが多く誕生した。文化面では、芥川龍之介の『羅生門』が発表された。甲子園が始まったのもこのころである。

 イギリスは、フセイン=マクホマン協定をアラブのハーシム家と締結。アラビア半島にハーシム家の王国を作ることを認めた。

 ユダヤ系物理学者アインシュタインは、一般相対性理論を発表した。

1914年 第一次世界大戦勃発

 サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦は始まった。

 日本では、山本内閣が海軍の汚職事件で失脚。第二次大隈重信内閣が成立。第一次世界大戦が始まると、日英同盟に基づいて、中華民国と太平洋のドイツ植民地へ進軍した。このあと、旧ドイツ植民地である山東半島をめぐり、中華民国と対立する。

 一方で、アメリカではパナマ運河が完成する。

1913年 第二次バルカン戦争

 日本では、第一次護憲運動で旧海軍の山本権兵衛が首相になる。これで桂園時代が終わる。

 ヨーロッパでは、バルカン半島で第二次バルカン戦争が起こる。

1912年 清王朝滅亡

 日本では、明治時代が終わり、大正時代に入る。二個師団増設問題で西園寺内閣が退陣に追い込まれると、第一次護憲運動が起こる。

 東アジアでは、清王朝が滅亡。中華民国が建国。孫文が臨時大総統に就く。

 ロシアは、ドイツの3B政策に対抗するため、バルカン同盟を結成。バルカン同盟は青年トルコ革命で弱体化したオスマン帝国と戦争を行った。これが第1次バルカン戦争である。

 アメリカ大統領選挙で民主党のウィルソンが勝利。

1911年 イタリアトルコ戦争

 日本では、原敬首相が暗殺。

 中国では中国共産党が成立。

 中東では、青年トルコ革命で弱体化したオスマン帝国へイタリアが侵攻した。イタリアトルコ戦争である。

 アフリカでは、フランスとドイツ間で第二次モロッコ事件が派生。

 ノルウェーの探検家アムンゼンが南極点に到達。

1910年 日韓併合

 日本は、ポーツマス条約に基づいて、韓国を併合した。

 一方、イギリスは、南アフリカの自治権を認めた。