2000年代のイラン 核開発疑惑で孤立化

 9・11テロで始まった2000年代。アフガニスタンイラク、イランそれぞれアメリカのブッシュ大統領(子)の攻撃を受けた。

核開発疑惑

  02年、反体制派により秘密裏に行われている核開発が暴露

  03年9月、IAEAは、イランに対する核開発の非難決議を行う。その後、英仏独と核開発停止に関する協議を実施。翌04年11月にパリ合意につながる。

 翌05年6月、イランで強硬派のアフマディネジャド大統領が就任。パリ条約を破棄し核開発を強行。英仏独に加えて、米露中を加えた七か国協議が始まった。07年3月、国連安保理は経済制裁を決議。現在もこの経済制裁が続いている。

9・11テロとイラク戦争

 01年9月11日、4機の航空機がハイジャックされ、ニューヨークとワシントンに激突した。アメリカのブッシュ大統領は、この首謀者をイスラム過激派アルカイダのビン=ラディン氏と特定した。

ブッシュ大統領は、アフガニスタンタリバン政権にビン=ラディンの引き渡しを要求。しかし、タリバン政権はこれを拒否した。10月アメリカ・イギリス両軍はアフガニスタン空爆。12月タリバン政権は崩壊した。

02年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行い、イラン、イラク北朝鮮を非難した。当時のイラクは、スンニ派バース党フセイン政権下にあった。フセイン政権は反対勢力を弾圧し、独裁色をさらに強めていた。02年11月、国連は大量破壊兵器の開発疑惑について査察を要求。フセイン政権はこれを受け入れた。03年1月、国連の中間報告では、大量破壊兵器の開発の確証は得られなたかったとされた。03年3月、アメリカは、イラクへの空爆を開始した。イギリスは賛同した。しかし、フランス・中国・ロシアはこれを非難した。同年4月、アメリカ軍はバクダードへ入城。フセイン政権は崩壊した。フセイン像が倒された映像があまりにも印象的であった。フセイン大統領は、02年12月に逮捕され、06年処刑された。