紀元前6世紀、インドは小国が乱立している時代であった。彼らは、バラモン教を信仰していた。
アーリア人はベンガル州(インダス川下流域、東インドへ)
インドの民族は、大きく2つの民族で構成されている。先住民であるドラヴィダ人とイランから侵入してきたアーリヤ人である。ドラヴィダ人は南インドで生活し、アーリア人は北インドを東へ進んだ。
紀元前6世紀になると、アーリヤ人はインド北東部であるインダス川中下流域に進出した。彼らは城壁に囲まれた都市国家を形成していた。都市国家間でも格差が生じ、有力国が登場した。その有力国がコーサラ国とマガタ国である。マガタ国は後のマウリア朝の下になった。
バラモン教とは
紀元前6世紀のインドで主力な宗教はバラモン教である。複雑な祭祀を正確に行うことで神々の恩恵が受けられると考えられていた。その複雑の祭祀を取り仕切る人たちをバラモン(聖職者)といわれる。
この祭祀の中には、生贄をささげる儀式もあった。牛を丸焼きにして神々に捧げる儀式である。この当時のインドにとって、牛は食べ物ではなく、土地を耕すために必要不可欠のものであった。バラモン以外の階級にとってこの儀式は経済的な負担が大きかった。そのため、この後仏教では生き物を大切にする考え生まれた。また、ヒンドゥー教では牛を神聖なものと考えられている。
この時代になると、バラモン教の聖典であるヴェーダが編纂された。そのため、この時代をヴェーダ時代といわれる。
インドの階級社会 ヴァルナ制
バラモン教によって、階級社会が成立した。これをヴァルナ制という。
一番上の階級は、聖職者であるバラモンである。バラモンは、クシャトリアなど他の人たちに祭祀のやり方を指導するのが仕事である。そのため、祭祀について精通しなければならい。
二番目の階級は、クシャトリアである。クシャトリアは、王侯貴族・戦士の階級である。戦争や内政を実際に行うのがこの階級である。富の蓄積が進むと、クシャトリアの人々は、バラモン階級を目の上のたんこぶのように感じるようになる。
三番目の階級は、ヴァイシャである。いわゆる庶民で会う。農民、牧畜民、商人がこの階級に当たる。
一番下の階級が、シュードラである。奴隷階級である。この階級は、先住民などの被征服民族が該当した。
この階層とは別に、信仰や職業による集団が形成された。この集団は、ジャーティと呼ばれた。インドではほかの集団との会食や結婚はタブーとされた。これをカースト制度いう。ちなみに、カーストの語源はポルトガル語で「血統」(カースト)でアある。16世紀になると、階級がほぼ世襲に近くなっていた。