紀元前6世紀のイタリア 共和政ローマの成立

紀元前6世紀、中国では春秋戦国の戦乱期であり、中東(オリエント)では、アケメネス朝ペルシャが成立したころである。
この時代に、やがて地中海全域を支配する共和政ローマが成立した。

共和政ローマの成立

 紀元前6世紀、ローマは北イタリアの異民族エルトリア人のが支配していた。6世紀末、ローマの人々(ラテン人)がエルトリア人の王を追放。都市国家としての共和政ローマが成立した。

貴族共和政

 建国当時の共和政ローマは、すべての市民に参政権はなかった。参政権持つ貴族と参政権を持たない平民であった。

貴族(パトリキ)とは

 貴族は、共和政ローマ成立時に指導者の立場にあった人々の子孫足りである。世襲によってえらばれた特権階級である。

平民(プレプス)とは

 貴族以外のローマ市民である。軍隊として活躍するようになると参政権を求めるようになる。紀元前1世紀まで続く共和政ローマの歴史は、平民が以下にして参政権を拡大させていくかの歴史でもある。

執政官(コンスル)とは

 執政官とは、今の日本でいうと内閣である。任期は1年で店員は2名。全員(2名)の意見が一致した場合のみ有効とされた。
 執政官(コンスル)は民会で選出された。しかし、事実上コンスルを選んでいたのは元老院であった。

元老院(今の日本でいう国会) 

 共和政ローマの意思決定機関は、民会である。しかし、成立当時の民会はあくまでもセレモニーとしての採択の場であった。自実質的議論は元老院で行われていた。

 元老院は、コンスルの諮問機関として設置され、次第にコンスルをけん制する存在となった。定員は30名で、任期は亡くなるまでであった。欠員が出た場合、執政官(コンスル)などの要職経験者から選出された。 

当時のイタリアの勢力図

 6世紀の共和政ローマは、ローマの都市国家に過ぎなかった。
 イタリア全体では以下のとおりになる。

エトルリア人   

ローマの北に定住
イタリア半島先住民族と思われる。
ギリシア人と交易

ラテン人(ローマ)   

ローマの南に定住

ギリシア

イタリア南部とシチリア島に定住。シチリア島にはシラクサという植民市を形成していた。
当時のギリシアは、黒海や地中海沿岸に植民市を形成。貴族政治から民主政治へ移行していた時代である。

フェニキア人(カルタゴ

 北アフリカサルディーニャ島に定住。北アフリカのチュニジアにカルタゴという拠点をつくり、西地中海交易を行いながら地中海の派遣をめぐり、ギリシャと戦っていた。 

 フェニキア人は、元々シリアを拠点にした海洋民族。アルファベットを発明。
 当時は、アケメネス朝ペルシアの保護を受けて地中海交易をすすめる。