19世紀のアメリカ

(前史)アメリカ独立戦争

 アメリカは、18世紀後半のアメリカ独立戦争で成立した。当初のアメリカは、東海岸の13州のみであった。独立戦争に勝利すると、イギリスからルイジアナの東半分を獲得した。

 89年、南部ヴァージニア州の出身のワシントンが初代大統領に就任した。

 連邦派反連邦派閥
ボストン(マサチューセッツ州)などの北部が中心出身地ヴァージニアは州などの南部が中心
工場経営者職業大規模農場経営者
ハミルトン主な
政治家
ジェファーソン
強い連邦政府内政弱い連邦政府
反イギリス外交親イギリス

ラテンアメリカの独立

ハイチの独立

 アメリカの次に独立したのは、カリブ海に浮かぶ島国ハイチであった。

 ハイチは、17世紀末にフランス領になり、黒人奴隷を使ったサトウキビ栽培で生活していた。

 18世紀末、フランス革命が勃発。トゥサン=ルヴェチュールを中心に奴隷解放運動が起こった。ナポレオンは、フランス軍を派遣したが失敗。

 1804年、ハイチは黒人共和国として独立した。黒人奴隷制も廃止された。

イギリスの奴隷制廃止

 イギリスは、ハイチの独立を受けて、1807年に奴隷貿易を禁止。1833年には、イギリス領植民地での奴隷の使用を禁止した。

シモン=ボリバルとスペイン植民地

 10年代、スペイン=ブルボン家がナポレオン(フランス)に敗北すると、スペイン領のラテンアメリカで独立運動が展開された。

 20年、スペイン立憲革命が成立すると、それはさらに促進された。

 南米北部では、シモン=ボリバルらが独立運動を展開。何べん南部はサン=マルティンらが中心に独立運動を展開した。メキシコは、司祭イダルゴの蜂起で21年に独立した。ブラジルでは、ポルトガル王子が帝位につき、22年に独立した。

クリオーリョ

 ラテンアメリカの独立運動は、ハイチとは違い、植民地生まれの白人が中心に行われた。彼らは、地主層が中心であった。

 独立運動を後ろで支えたのは、イギリスである。ラテンアメリカ諸国は、独立を果たすと、イギリスへ食料や原料を輸出するようになる。これにより、ラテンアメリカの工業化は大きく遅れた。

アメリカの領土拡大

ルイジアナ買収

 1800年、反連邦派のジェファーソンが第3代大統領に就任した。

 ハイチの独立運動が激化した03年、アメリカは、フランス(ナポレオン)からルイジアナを買収した。

 ルイジアナは、アメリカ中央部に広がる広大な平野である。17世紀にフランス領になった。しかし、18世紀半ばにフランスが七年戦争に敗北すると東半分をイギリスに割譲した。この時、フランスは、西半分をスペイン=ブルボン家に割譲しアメリカ大陸から撤退した。18世紀後半、アメリカ独立戦争で東半分がイギリス領からアメリカ領になった。19世紀に入り、スペイン=ブルボン家は、ルイジアナ西部をフランス(ナポレオン)に変換した。

米英戦争

 08年、反連邦派のマディソン大統領が誕生。12年、イギリスが海上封鎖を開始。 米英戦争が勃発した。14年、ナポレオン戦争でパリが陥落すると、アメリカも降伏した。

モンロー教書

 16年、反連邦派のモンロー大統領が誕生。19年に、スペイン=ブルボン家からフロリダを買収。当時のスペインは、ラテンアメリカの独立運動の真っただ中にあった。

 23年の教書演説で、アメリカ合衆国がヨーロッパの戦争に干渉しないと発表。これをモンロー教書という。この孤立外交政策をモンロー主義という。

ジャクソン大統領

 28年、ジャクソン大統領が誕生。初の西部(13州以外)出身の大統領が誕生した。

 当時のアメリカは、選挙権の付与を各州に任せていた。米英戦争後、財産に関係なく、すべての白人男性に選挙権を与える州が増加した。ジャクソン大統領は、農民や都市の下層民の支持を集めて当選した。

 また、連邦政府の官職は、大統領選挙に協力したものが務めるようになった。この風習は現在も続き、政権交代が起こると連邦政府職員は総入れ替えになる。

 北部の連邦派は、ホイッグ党を結成。これに対抗して、ジャクソン大統領は民主党を結成した。

 ジャクソン大統領の時代になると西部開拓が推進された。先住民(ネイティブアメリカン)をミシシッピ以西へ強制移住させた。チェロキー族の「涙の旅路」は、その一つである。

アメリカ=メキシコ戦争

 40年代に入ると、西部開拓はさらに進んだ。「マニュフェスト=デスティニー」の名のもとにさらに促進された。

 45年、メキシコ(21年にスペインから独立)からテキサスを併合すると、翌46年、アメリカ=メキシコ戦争が勃発。

 48年、アメリカは、アメリカ=メキシコ戦争に勝利。カリフォルニアを獲得した。同じ頃、イギリスからオレゴン州など、アメリカ北西部を獲得。アラスカとハワイを除く、現在のアメリカの領土はこの時代に成立した。

 48年、カリフォルニアでゴールドラッシュ。アメリカ北東部の人々は、カリフォルニアへ移住。アイルランド(ジャガイモ飢饉)や中国(清王朝)からも多くの人々が移住した。

 彼らは、フォーティーナイナーズと呼ばれた。このカリフォルニアが新たな火種を生むことになる。

南北戦争

北部と南部

 アメリカは、奴隷以外の男性が6万人に達すると州に昇格し、連邦議会に議員を送ることができるようになる。西部開拓が進むと多くの州が誕生した。これにより、南北の対立が激しくなった。

 その最大の論点は奴隷制の問題であった。33年、イギリスは奴隷制を廃止。それに追随するかの問題である。南部では、奴隷制大規模農場経営者が多かった。そのため、奴隷制廃止には否定的であった。一方、北部は、奴隷制を廃止しようとした。

北部南部
工業職業農業(地主)
賛成奴隷制廃止反対
保護貿易貿易政策自由貿易
強い政府連邦政府弱い政府

ミズーリ協定

 20年、ミズーリ協定で北部に奴隷州を作らないこととされた。

カンザス・ネブラスカ協定

 50年、ゴールドラッシュでカリフォルニアが州に昇格。ミズーリ協定にのっとれば、南北に分断して奴隷州と自由州にわけるべきであった。しかし、カリフォルニアは、1つの州として自由州となった。

 これにより、ミズーリ協定は無効化された。54年、新たな協定が蒸すバラれた。カンザス・ネブラスカ協定である。この協定では、地理には関係なく住民投票で奴隷州か自由州を定めることになった。まもなく州に昇格予定のカンザス州とネブラスカ州に適用されたため、カンザスネブラスカ協定と呼ばれた。

 この協定によって、カンザスやネブラスカでは奴隷制をめぐり対立するようになった。ストウ夫人の『アンクル=トムの小屋』はこの時代に書かれた小説である。

リンカン大統領

 48年、アメリカでは婦人参政権を求める運動が始まった。この運動は、奴隷制廃止を求める共和党(旧ホイッグ党)と結びついた。

 60年大統領選挙。民主党が分裂。共和党のリンカン大統領が誕生した。

南北戦争

 南部の一部の州は、61年に独立。アメリカ連合国を建国。別の大統領をたてた。南北戦争が勃発した。

 当初、優秀な軍人が多かった南部が優勢に進んだ。その代表がリー将軍であった。

 劣勢の北軍は、主戦場になっている西部の支持集めるために、新たな法律を制定した。ホーム=ステッド法である。これは、一定の条件を満たせば国有地を無償で提供されるという法律である。

 63年1月、北軍はさらに起死回生の一手を打った。これがリンカン大統領の奴隷解放宣言である。これにより、北軍は内外の世論の支持を集めた。ゲティスバーグの戦いに勝利。グラント将軍率いる北軍が優勢になった。

 65年、南軍の首都リッチモンドが陥落。南北戦争は北軍の勝利で終結した。

産業革命

(南部)黒人差別問題

  65年、南北戦争に勝利すると、合衆国憲法を改正。修正第13条で奴隷制の廃止を記載した。同じ年、元南軍の兵士を中心に、反黒人団体が結成された。KKK(クー=クラックス=クラン)である。KKKは、非合法的手段で黒人への迫害を行った。

 南部諸州も77年までに、合衆国に復帰した。黒人から奴隷から解放された。しかし、職がなく、旧奴隷主に経済的に従属するようになる。シェアクロッパーとして元奴隷主の農場で働いた。自分の農地は持てたものの収穫量の半分は地主に渡った。

 復活した南部の州では、民主党支持者多くになった。

 90年代に入ると、南部の州で黒人取締法が制定。

(西部)大陸横断鉄道

 49年のゴールドラッシュで、西部へ入植者は急増した。

 南北戦争中の62年には、ホームステッド法が成立。これは、移住者が連邦政府から無償で土地を取得できるという法律である。これにより、入植者はさらに増えた。60年前後、ネバダ州やコロラド州では金銀の採掘が盛んになった。

 西部では、鉱山業のほか、牧畜や小麦の生産が盛んであった。

 69年には大陸横断鉄道が完成。

 90年代には、フロンティア消滅が宣言された。

産業革命

 60年代の南北戦争が終結すると、石油や電気を用いる第二次産業革命が発生。アメリカは、石炭・石油・鉄鉱などの重工業を中心に発展。19世紀末には、イギリス・ドイツをしのぐ世界最大の工業国になった。

 重工業が発展すると、ロックフェラーなどの独占企業が発展。大きな格差を生んだ。

 また、重工業化に伴い、ヨーロッパやアジアから多くの移民がこの時期に流入した。40年代のじゃがいも飢饉や、70年代の布教は移民を急増させた。

 この移民は、低賃金層の職を奪っていった。そのため、82年中国移民に対して流入が禁止された。

太平洋へ 

 話を、50年代に戻す。

 48年、アメリカ=メキシコ戦争に勝利。カリフォルニアを獲得。太平洋への関心が高まった。

 53年、クリミア戦争が勃発。フェルモア大統領は、ペリーを日本に派遣。翌54年、日本は開国した。

 61年に南北戦争が終結すると、太平洋への進出は一時中断された。65年、南北戦争が終結。67年、ロシアからアラスカを買収。