アメリカ独立革命

(前史)北アメリカ植民地

13植民地

 17世紀初頭、ヴァージニア植民地で植民地議会の設置が認められる。ここから、植民地には一定の自治がみとめられた。13植民地では大学の設置や新聞の発行なども行われた。

北部と南部

 北部では、自営農民や商工業者が多い。

 ボストンのあるマサチューセッツ州などの北部4州は、ニューイングランドと呼ばれ、信仰の自由を求めて移住したピューリタンが多かった。この地域では、本国に対する批判意識が強い。

 一方、南部では黒人奴隷を使用した大農場経営が多かった。温暖で豊かな地域であった。その中心はヴァージニア州である。

フレンチインディアン戦争

18世紀半ば、イギリスは七年戦争に勝利。フランスをアメリカ大陸化撤退させた。そして、イギリスの植民地は、アメリカ中央に流れるミシシッピ川の東側まで広がった。

アメリカ独立戦争

ボストン茶会事件

 七年戦争で、イギリスは、アパラチア山脈以西までひろがった。しかし、この地域はイギリス本国の直轄地とし、植民地はアパラチア山脈の東側に限定された。

 イギリス本国は、重商主義政策をとっており本国の産業を保護した。そのため、植民地の自由な商業活動や工業化を規制した。

 さらに、七年戦争で獲得したルイジアナ東部は本国で管理し、植民地の人々の居住を認めなかった。

 本国は、七年戦争の出費を改修するために植民地の課税を強化した。

 65年に印紙法が制定されると、ヴァージニア植民地議会で「代表なくして課税なし」と主張された。ヴァージニア州は、アメリカ南部の州で、最も古い植民地である。このヴァージニア州は。初代ワシントンをはじめ建国当初多くの大統領を輩出した。

 次の舞台は北部のボストンである。この地は、メイフラワー号が到着した港で、ピューリタンの多い町である。73年、茶法が制定。住民の怒りがボストン茶会事件を引き起こした。これをきっかけにアメリカ独立戦争が始まった。

アメリカ独立戦争

 73年、茶法をきっかけにボストン茶会事件が発生。イギリスは、武力でボストン港を閉鎖した。

 74年、13植民地は、大陸会議を開催。本国に自治を要求した。

 75年、武力衝突につながった。13植民地側は、ワシントンを総司令官にした。

 76年7月4日、13植民地の代表は、フィラデルフィアで独立宣言を発表した。フィラデルフィアは、北部のペンシルベニア植民地の都市である。沿岸部は本国の海軍が信仰しているので内陸のフィラデルフィアが選ばれた。

 独立宣言は、トマス=ジェファーソンが起草した。自由と平等は生まれながらにして持っている権利として、イギリスからの独立の正当性を主張した。これは、フランス革命の人権宣言とともに、近代民衆政治の基本原理となった。

 当初は苦戦した。しかし、局地戦で植民地軍の勝利の報がヨーロッパに伝わると、フランス=ブルボン家やスペイン=ブルボン家が参戦。さらに、ロシアのエカチェリーナ2世の提唱で武装中立同盟が結成。

さらに、多くの義勇軍も参加した。この中には、後のフランス革命に登場するラ=ファイエットやポーランド分割に抵抗したコシューシコなどがいた。

パリ条約

 81年、植民地軍がヨークタウンの戦いで勝利。これにより独立戦争は終結した。83年、パリ条約でアメリカ合衆国の独立が国際的に承認された。

合衆国憲法

合衆国憲法

 83年に成立したアメリカ合衆国は、13植民地のゆるい連合に過ぎなかった。しかし、反乱などので政治的経済的困難から、強い中央政府を求めるようになった。

 87年、フィラデルフィアで憲法制定会議を行い、合衆国憲法が作られた。

 合衆国憲法は、人民主権を基礎とした共和政(国王のいない政治体制)を採用した。国王の代わりに、選挙でえらばれる大統領が置かれた。大統領が行政のトップとなった。

 ただ、大統領が独裁者にならないように三権分立を採用。立法権は連邦議会が、司法権は最高裁判所がになった。

 憲法には、政治体制のほかに、人民の権利を保護するなどのアメリカ政府が今後守っていく条項も明記された。

 その後、アメリカは、強い中央政府をもとめる連邦派とそれに反対する反連邦派の対立が続いた。

ワシントンとフランス革命

 89年、初代大統領にワシントンが就いた。独立戦争の総司令官であった人物である。同じ年、フランス革命が勃発した。ワシントンはこの革命に対して中立の立場をとった。

 国のお金を管理する財務長官には、連邦派のハミルトンが、外交を担当する国務長官には、反連邦派のジェファーソンを置き、バランスをとった人事を行った。

 00年、新首都ワシントンDCが建設された。ワシントンDCは南部に作られたが、南部の州の影響を受けないように独立的な都市となった。ワシントンDCの由来は、新首都完成直前に亡くなった初代大統領ワシントンの功績をたたえたものであった。

アメリカ独立革命の意義

 アメリカ合衆国の成立は、共和政が実現可能であることを占めした。フランス革命では、イギリス型の立憲君主制とアメリカ型の共和政のどちらを取るかも焦点になった。

 アメリカ独立戦争で、植民地の人々がアパラチア山脈以西への居住が可能になった。これにおり、ネイティブアメリカンと植民地の戦いが始まった。これが西部開拓の始まりである。

 また、黒人奴隷制が継続された。すなわち、当時のアメリカでは黒人奴隷やネイティブアメリカンに人権はなかった。