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アメリカ史

1920年代のアメリカ 繁栄の20年代

1920年代、日本は関東大震災を機に大戦景気が終わり、長期の不況に入った。この頃、アメリカは繁栄の20年代を迎える。政治面では共和党政権が続いた。

世界大恐慌

 1929年、ニュヨークでで株価が大暴落した。これを機にアメリカ初の世界大恐慌が始まった。共和党フーバー大統領はこれにあらがう手段を持っていなかった。32年大統領選挙で共和党が敗北。民主党のF=ローズヴェルト大統領が誕生した。

繁栄の20年代

ディズニーとチャップリン

 世界恐慌前の20年代のアメリカは絶頂期にあった。その時代は繁栄の20年代といわれた。当時の文化の中心は映画であった。喜劇王のチャップリンやアニメーターのディズニーが活躍した。また、リンドバーグの大西洋横断飛行はアメリカ国民に勇気を与えた。

大量生産、大量消費、大衆文化

 1920年代の文化は、それまでの文化と大きく異なっていた。それまでの文化の中心は王侯貴族のためのもであった。しかし、1920年代の文化は一般国民が中心であった。その最も特徴的なものは大衆車フォードの登場である。

 テレビが発明されたがまだ一般的にはなっていない。当時の人々はラジオや新聞でニュースを確認していた。さらにジャズが流行したのもこの頃である。

規制の時代

 20年代は、繁栄の時代であるとともに、同一性を求める時代でもあった。その特徴は3点である。禁酒法とWASP、移民法である。

 禁酒法は、酒類の製造・販売を禁止する法律である。禁酒運動は1870年代から始まっていた。第一次世界大戦が始まると、節約機運とビールがドイツの象徴である点から禁酒法制定動きが高まった。

 禁酒法は、第一次世界大戦後の19年から始まり、世界恐慌の33年に廃止されるまで続いた。この間、ギャングが密造酒で大もうけした。その代表は、シカゴのアル=カポネである。

 繁栄の20年代は、移民を増大させた。特に、東欧(ロシア、ポーランドなど)や南欧(イタリアなど)からの移民が多くなった。彼らは「新移民」と呼ばれた。

 アメリカは敬虔なプロテスタントが作った国である。しかし、新移民はプロテスタント融合しない人々が多かった。イタリア人やポーランド人はカトリック教を信仰し、ギリシャ人は東方正教会を信仰していた。さらにこの時期、多くのユダヤ人がアメリカへ移住した。

 新移民は、アメリカの労働者の仕事を奪っていた。そのため労働組合はアメリカ政府に移民の規制を求めた。

 24年、移民法を制定。移民の制限を行った。この法律により日本人はアメリカに入国することができなくなった。この時期から南米ブラジルへの移民が進んだ。

 

繁栄の20年代を支える共和党政権

3人の大統領

 20年代、3人の大統領が誕生した。20年の大統領選挙で勝利したのは、ハーディング大統領である。ハーディング大統領は、20年代の繁栄を政策面で支えるが、汚職や女性スキャンダルで支持率は高くなかった。23年ハーディング大統領が病死すると、クーリッジ大統領が誕生した。28年大統領選挙でフーバー大統領が誕生した。

女性参政権の拡大

20年大統領選挙

 20年の大統領選挙は、民主党ウィルソンの改革の是非がを問われた。アメリカ国民は、これに対しNOを突きつけた。

共和党課題民主党
平常への回帰スローガン新しい自由
企業活動の復活
反トラスト法廃止
規制緩和
大企業規制反トラスト法の継続
海軍の増強帝国主義政策反帝国主義
加盟に反対国際連盟加盟に賛成

共和党の外交政策

英米の海軍軍縮交渉

 共和党政権は、帝国主義政策を進めた。そこで障害になったのはイギリス海軍である。

 20年のワシントン会議で米英日仏伊は、10:10:6:3.2:3.2とされた。またその期間は10年とされた。

 この条約の更新のため、27年ジュネーブ海軍軍縮会議が行われた。しかしこの会議は決裂した。世界恐慌を受けて、30年ロンドン海軍軍縮会議が開催された。

 ワシントン会議、ジュネーブ会議は決裂。世界恐慌を受け、各国は軍事費の削減が重要となった。ロンドン海軍軍縮会議が成立。米英日は10:10:7で合意した。

ドイツ賠償金問題

 ヴェルサイユ条約で決定されたドイツの賠償金は多額のものであった。ドイツはすぐに支払いが遅延した。フランスは債務不履行を理由にルール工業地帯を占領した。これにより、ドイツではハイパーインフレが生じた。

 ドイツ賠償金の支払い滞りによって、国債の債務不履行になる可能性があった。アメリカ政府は24年、ドーズ案で支払額の減額を行った。さらに、29年ヤング案で返済期間は延長された。

ワシントン会議

 共和党ハーディング大統領は、国際連盟への参加を拒否した。また、帝国主義政策を進める必要があった。その主な論点は3つである。中国市場の確保と太平洋への進出、イギリス海軍の縮小であった。ハーディング大統領は債権国の立場を利用して、イギリスなどにアメリカの要求をのませた。これがワシントン会議である。

 アメリカは、中国市場に参入したかった。これに対する障害は日本であった。アメリカ・日本など9か国で九か国条約を締結した。具体的には、中華民国の主権の尊重と門戸開放が実現した。これにより、ヴェルサイユ条約で有効とされた「対華21か条の要求」は無効とされた。これにより旧ドイツの山東半島は中華民国に返還された。

 アメリカ・イギリス・日本・フランスは、太平洋の統治について四か国条約を締結した。これにより各国の勢力圏を明確にさせた。この条約で日英同盟は破棄された。

 海軍は、かなりの軍事力になるとともに各国の軍事費を増大させた。19世紀末に始まって建艦競争はそれに拍車をかけた。アメリカとイギリスは過度の競争にならないように海軍に制限をかけた。これがワシントン海軍軍縮条約である。

 

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

「1920年代のアメリカ 繁栄の20年代」への1件の返信

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