11世紀の日本 平安時代後期 源氏物語の完成と 藤原道長の栄枯盛衰

10円玉の平等院鳳凰堂

 末法思想がブームになる。仏教を信仰すれば、極楽浄土へ行けるという思想で、キリスト教最後の審判に近い。ちなみに西ヨーロッパでもローマ教皇の影響力が大きくなり、十字軍が始まったのも11世紀末のことである。11世紀初頭に建てた藤原氏が建てた宇治の平等院鳳凰堂末法思想の影響を受けている。

摂関政治と藤原道長

 11世紀初頭は、藤原氏の全盛期で、藤原道長・藤原頼道はこの時代である。この全盛は文化面でよく出ていて、長編恋愛小説である源氏物語や宇治の平等院鳳凰堂はこの時代のものである。

摂関政治の終焉

 しかし、頼道の後は、藤原氏で女の子が生まれなくなり、次第に影響力を失っていった。後半になると天皇が独自に政治を仕切るようになる。院政が始まったのもこの世紀にである。また、藤原氏の影響力がなくなると政府は荘園整理令をだし、藤原氏の荘園を国有化し税収を増やそうとした。

武士の登場

 地方では、武装化した農民が、京都から派遣された国司と結びついて組織化していった。武士の起こりである。主に武士の頭領になったのは、代表格は、旧皇族藤原氏の影響で要職につけなかったもので、平氏と源氏である。

女真族(渤海)と奥州藤原氏

 一方、外交面では、11世紀初頭藤原道長の時代には、中国東北部の狩猟民族(女真族)の国、渤海が九州に侵攻したが、日本はこれを撃退した。一方で、東北地方では、源氏が活躍し、東北の豪族を服従させた。ここで活躍した源氏は奥州藤原氏として土着した。

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