概要
当時、ヤマト政権は飛鳥(今の奈良県明日香市)に都をおいていた。そのため6世紀~7世紀を飛鳥時代と呼ばれる。
当時、韓国の友好国の百済から仏教が伝わった。それ以前は八百万の神を信仰する神教が信仰されていた。神社が神教の施設であり、寺が仏教の施設である。
この仏教を積極的に受け入れるか否かで日本は2つのグループに分かれた。物部氏を中心とする仏教反対派と蘇我氏を中心とする仏教推進派である。結果、仏教推進派が勝利し、その後、蘇我氏が政府の要職につくようになる。飛鳥周辺には多くの寺院が建てられた。
593年、蘇我氏のバックアップで聖徳太子が推古天皇の摂政となった。
流れ
磐井の乱と大伴氏
6世紀初頭、北九州で磐井の乱が起こる。
磐井氏は、北九州の豪族で、筑紫の国造であった。新羅と結んで反乱を起こした。2年の年月を経てこれを鎮圧した。その鎮圧軍を指揮したのが大伴氏である。
仏教伝来と蘇我氏
朝鮮半島の伽耶諸国を失うと、その責任で大伴氏が失脚。代わりに台頭したのが蘇我氏と物部氏である。両者は仏教を巡り対立した。
蘇我氏 | 物部氏 |
財務を担当した外国かぶれの新興勢力 渡来人との結びつきに勢力拡大 財務を担当 大臣 蘇我馬子 | 軍事で台頭した叩き上げ(旧勢力) 大連 物部守屋 |
聖徳太子の時代へ
外交・軍事
磐井の乱
伽耶諸国
百済と仏教伝来
経済 国造
地方は、地方豪族を国造(くにつくり)に任命して統治を任せた。国造の仕事は以下の通りである。
- 平時)地方の特産物を貢納
- 平時)大王の直轄地である屯倉(みくら)の管理を代行
- 戦時)軍事行動を支援
国造の子女は、中央で生活し、大王に出仕した。かれらは、舎人(とねり)・采女(うねめ)などと呼ばれた。・