前回の復習 4世紀のドイツ
4世紀、フン族の侵入によって、ゲルマン民族はローマ帝国領へ侵攻した。
さて、今回は、どのゲルマン民族とはどのような民族であったのかを見ていきます。
ゲルマン民族とは?
様々な民族
ゲルマン民族は、大きく3つの部族に分かれる。東方ゲルマン人、西方ゲルマン人、北方ゲルマン人である。
最初に移動を開始したのは、東方ゲルマン民族である。かれらは、アジア系騎馬民族の襲来を逃れるために最初にローマ帝国内に侵入した。主たる民族は、3つで、ゴート族、ヴァンダル族とブルグンド族である。
ゴート族は、東ゴート族と西ゴート族に分裂。東ゴート族はフン族に服従。西ゴート族は、ドナウ川を越えたローマ帝国領のバルカン半島へ侵入した。
ヴァンダル族は、ライン川を越えて南フランスへ侵入した。スペインに拠点を置いていたが、西ゴート族の襲来で北アフリカへ移動した。
ブルグンド族も、ライン川を越えて中部フランスに侵入した。フランク族に服従するが、その後もこの地域に居住し続けた。現在。その地域は、現在ブルゴーニュ地方と呼ばれている。
次に移動をしたのが西方ゲルマン民族である。バルト海沿岸のアングル族、北海沿岸のサクソン族、ライン川沿岸のフランク族である。
最後に移動したのが、北方ゲルマン民族である。彼らはノルマン人と呼ばれることが多い。
従士制
従士制とは
従士制とは、ゲルマン民族社会でよく見られた主従関係である。貴族や自由民の子弟がほかの有力者に忠誠を誓って従者になる制度である。給与や土地の保護などはなかったが、有力者から馬や衣服が与えられた。
ローマ帝国の恩貸地制度
これに似たもので恩貸地制度がある。こちらは主従関係ではなく土地の所有権に関するローマ帝国内でよく見られた制度である。こちらは、地主階級が有力者に土地を提供。有力者から改めて土地の貸与を受ける制度。地主階級は、有力者に地代を払う代わりに土地の安堵を図ってもらえた。
封建制度
中世の封建制度は、騎士階級(地主階級)と国王の関係を示す狭義の封建制度と農奴と騎士階級の関係を示す荘園制度で構成される。
中世の狭義の封建制度は、従士制の主従関係制度と恩貸地制度の経済関係制度が組み合わせて成立した制度である。
3世紀のローマ帝国
軍人皇帝時代
3世紀のローマ帝国は、軍人皇帝の時代である。ササン朝やゲルマン人との戦いが激化することで、軍人の発言力が高まった。それまでの政治の中枢は貴族を中心とした元老院であった。しかし、このころになると下級貴族である騎士階級が台頭してきた。
ゲルマン人傭兵部隊
共和制ローマの時代、軍隊は市民で構成されていた。しかし、紀元前1世紀になると有力者が私兵を集めるようになった。軍事皇帝時代になると軍隊の中心は傭兵(私兵)になった。