世界最初の産業革命
産業革命とは
産業革命とは、18世紀後半のイギリスではじまった工業製品の生産性の著しい工場である。
具体的には、手工業から機械制工業への移行過程を一般的にさす。
なぜ、イギリスではじまったのか?
では、なぜイギリスではじまったのであろうか。
一番目は資本(お金)の蓄積である。イギリスは16世紀以降、三角貿易で多くの資本を蓄積していた。とくに、17世紀の重商主義政策をこれを拡大させていた。
二番目は、労働者がいたことであった。イギリスはほかのヨーロッパ諸国に比べると寒く、農業に適さない地域である。そのため、ほかの国に比べて労働者の確保が容易であった。18世紀には第二次エンクロージャー(農業のリストラ)があり、多くの失業者が都市へ流れた。
3番目は、地下資源が豊富であったことである。イギリスでは、鉄鉱石と石炭が豊富であった。
なぜ、18世紀後半に産業革命がおきたのか?
では、なぜ18世紀後半に産業革命が起きたのであろうか。
1番目は、科学革命である。17世紀後半に始まった科学革命によって産業革命の前提知識がついた。
2番目は、綿織物の需要の増大である。17世紀に入ると、インドから大量の綿織物が輸入された。多くのイギリス人が綿織物の魅力に魅了された。
機械の発明と交通機関の改良
機械の発明
綿工業は、2つの産業から成り立っている。綿花(わた)から綿糸を作る紡績業と、綿糸から綿布をつくる織物業である。
33年、ジョン=ケイが飛び杼(シャトル)を発明。これにより織物業の生産性が飛躍的に伸びた。それに伴い、綿糸の供給不足が発生した。
64年、ハーグリーヴスがジェニー紡績機(多軸紡績機)を発明。生産量が増えたものの、糸が弱いという問題点があった。
69年、アークライトが水力紡績機を発明。水力を使うことで力強い糸を作れるが生産速度額遅いという弱点を持っていた。
79年、クロンプトンがミュール紡績機を発明。多軸紡績機と水力紡績機のいいとこどりをして、強い糸を早く作れるようになった。
産業革命の舞台は、再び織物業に戻った。85年、カートライトが力織機を発明。
動力
産業革命は、動力源を大きく変えた。産業革命以前の主要な動力源は水車に象徴される水力であった。産業革命時に蒸気機関を使った火力に変わった。
18世紀初頭、ニューコメンが蒸気力によるポンプを発明した。しかし、上下運動のみで実用性が低かった。
69年、ワットが蒸気機関を改良。回転運動ができるようになり実用性が高まった。
このほかにも、製鉄技術が向上。石炭の技術も向上した。
交通革命
19世紀に入ると、交通網が大きく変わった。蒸気船(黒船)と鉄道の登場である。
14年、スティーブンソンが蒸気機関車(鉄道)を発明。25ねには実用化。30年には乗客を乗せるようになった。
また、船の世界も大きく変わった。04年、アメリカ人のフルトンが蒸気船を発明。20年代のギリシャ独立戦争後は、軍艦は帆船から蒸気船に変わった。40年代に日本に来航したペリーも蒸気船(黒船)に乗ってやってきた。
世界の工場
産業革命で、イギリスは安価な工業製品をヨーロッパ内外に販売した。イギリスは「世界の工場」の地位を獲得した。
10年代に、ナポレオンが没落すると、イギリスの機械技術の輸出を解禁。ベルギーやフランスに産業革命が波及した。
資本主義と社会問題
資本主義問題
産業革命以前は、農家の家内制工業や都市部のギルド制手工業が中心であった。
しかし、産業革命によって機械制工業が出現。従来の家内制工業や手工業は没落した。一方、大工場を経営する資本家(ブルジョワジー、産業資本家)が台頭。社会的地位を高めた。こうして資本主義体制を確立した。
18世紀時点で、産業資本家は経済的な権力は持った者の、政治的発言力を持っていなかった。19世紀前半の市民革命は、産業資本家が参政権を獲得していく過程であった。
都市人口の増加
産業革命の結果、生活様式が激変した。伝統よりも進歩こそが望ましいものとされるなど、人々の価値観も大きく変化した。また、都市への人口が集中が進んだ。マンチェスターやバーミンガムの大工業都市やリヴァプールなどの大商業都市が誕生した。
労働問題
没落した手工業者は、労働者として大規模工場で働くようになった。
労働者は、規律正しく働くことを強く求められた。また、労働者同士が団結するようになった。労働組合が結成されるようになった。
女性や子どもが工場や鉱山で働くようになった。
資本家は、利潤の追求を優先。労働者は不衛生な生活環境の下で長時間労働や低賃金を強制。深刻な労働問題や社会問題が発生した。
一方で、この問題を解決する社会主義思想なども誕生した。