ソ連崩壊

(前史)19世紀後半のヨーロッパ

東欧

ゴルバチョフ書記長と新ベオグラード宣言

 85年、ソ連の書記長にゴルバチョフ氏が就任。

 88年3月、ユーゴスラヴィアのベオグラードで新ベオグラード宣言。68年のプラハの春でブレジネフ書記長が発言した制限主権論(各国政府の主権よりもソ連共産党の意見が重要)を否定した。

ポーランドの連帯

 80年、ワレサ氏が「連帯」を組織。共産党に改革を求めた。(余談だが、学生時代の河野太郎氏はワレサ氏にあっている。)

 89年、ポーランドで複数政党制(共産党以外の政党が出馬する選挙)の選挙を実施。「連帯」を中心とする連立政権が成立した。

 同じ年、ハンガリーチェコスロヴァキアでも複数政党制による選挙を実施。選挙によって共産党単独政権が崩壊した。

チャウシェスク夫妻処刑(ルーマニア)

 ルーマニアでは、チャウシェスク共産党独裁政権が続いていた。

 89年12月、独裁政権が崩壊。チャウシェスク夫妻は処刑された。

ベルリンの壁崩壊(東ドイツ)

 89年10月、ホネカー書記長(71年就任)が退陣。

 翌11月、ベルリンの壁(61年建設)が崩壊。

 90年3月、自由選挙で早期統一を進める連合党派が勝利。

 同90年10月、統一ドイツが成立。

東欧社会主義圏の消滅

 91年、コメコン(経済相互援助会議)とワルシャワ条約機構(東欧諸国の軍事同盟)が解消された。

ソ連解体

ゴルバチョフ書記長

 85年、ゴルバチョフ書記長が誕生。ペレストロイカ(改革)を進める。

 89年、複数候補者制の選挙を実施。

 90年、大統領制を導入。ゴルバチョフ書記長が初代大統領に選出。

 市場経済への移行が始まった。スターリン体制で犠牲になった人の名誉回復も行われた。

 バルド3国などソ連国内の共和国が独立運動を始める。

エリツィン大統領

 91年8月、保守派のクーデターが失敗。しかし、これによりゴルバチョフ大統領は支持を失う。

 同じ頃、ウクライナやアゼルバイジャンなどもソ連からの離脱を発表。ソ連共産党も解散した。

 91年12月、エリツィン大統領のロシア連邦を中心としたCIS(独立国家共同体)が結成。ウクライナやベラルーシなどの11の共和国が参加した。これによりソ連は崩壊した。

 94年、チェチェンの独立運動。チェチェンはカフカス地方(ソ連とイランの間にある山岳地帯)。

 96年、エリツィン大統領再選。

プーチン大統領

 99年、市場経済の遅れやチェチェン問題でエリツィン大統領が辞任。

 00年大統領選挙でプーチン氏が勝利。資源価格の高騰で経済成長を実現した。強いロシアを背景に22年現在まで大統領を続けている。

 14年、ウクライナ政府がEUやNATOへの加盟の意向を発表。クリミアやウクライナ東部のロシア系住民は分離独立運動をおこし現在に至る。

ユーゴスラヴィア

 80年、指導者ティトー氏が死去。

 91年、北部のクロアチアとスロベニアがユーゴスラヴィアから独立を宣言。ユーゴスラヴィアの中心セルビアと内戦になる。

 95年、内戦の末、ボスニアが独立。

 97年、セルビア国内のコソボで独立運動。この地域にはアルバニア系住民が多い。

 99年、NATO軍がコソボ問題でセルビアに空爆。セルビアの指導はミロシェビッチは逮捕された。 

市場の地域統合

WTO(世界貿易機構)

 第二次世界大戦後、アメリカの意向を受けて工業製品の関税が引き下げられた。しかし、その恩恵を大きく受けたのは戦後復興期の西ドイツと日本であった。

 一方、農産物やサービス部門については通商の壁が残されていた。86年9月の南米のウルグアイで始まったウルグアイラウンドではこれが焦点となった。124か国が参加。この交渉は暗礁に乗り上げた。日本の89年の牛肉オレンジ自由化もこの一環である。

 94年、ウルグアイラウンドが妥結。翌95年WTO(世界貿易機関)が発足。  

EU

EU発足の歴史

 85年、単一欧州議定書

 93年11月、マーストリヒト条約が締結。EUの発足が決まった。

 91年、決済手段として単一通貨ユーロが導入。

 93年、一般市民の取引でもユーロの使用が始まった。

主要国の加盟

 58年、フランス、西ドイツ、イタリアなど6か国でECが発足。

 73年、EFTA加盟国のイギリスとデンマークが加盟

 81年、ギリシャが加盟

 86年、スペイン・ポルトガルが加盟

 91年、統一ドイツの誕生でEUが東ドイツに拡大。

 93年、EUが発足。

 95年、ソ連邦の解体により中立国であったオーストリア、スェーデンとフィンランドが加盟。(ノルウェーとスイスは現在もEUに未加盟)

 04年、ポーランドなどの東欧諸国が加盟。

 07年、ルーマニアとブルガリアが加盟。

 13年、ユーゴスラヴィアのから独立したクロアチアとストべニアが加盟。

格差問題

 04年の東欧諸国の参加により、EU域内の格差が拡大。ドイツなど中欧諸国では、東欧諸国からの出稼ぎ労働者が流入した。

 11年、南欧のギリシャで通貨危機。ユーロは金融不況に見舞われた。

 さらに西側諸国では北アフリカや中東からの移民が増大。

 貧富の格差が拡大によって、右派政権が各地に誕生した。また、イギリスはEUを離脱した。

NAFTA

 ヨーロッパは、EUによる排他的なブロック化を進めた。アメリカはこれに警戒した。

 88年、共和党レーガン政権は、カナダと貿易協定。

 94年、民主党クリントン政権は、カナダ・メキシコとNAFTA(北米自由貿易協定)を発足。

APECとTPP

 89年、APEC(アジア太平洋協力会議)が発足。

 06年に、シンガポールなど4か国でTPP(環太平洋貿易協定)が発足。

 08年2月、アメリカ(ブッシュ共和党政権)がTPP交渉に参加を表明。オーストラリアなど3か国が追随した。

 10年3月、8か国で第1回会合を開催。

 14年、日本もTPP参加を検討。

 16年2月、TPP協定が12か国で証明。

 16年11月、TPP反対派のトランプ共和党政権が成立。TPPの離脱を表明。

 18年3月、アメリカを除く11か国のTPP11で署名。

 現在、中国と台湾が参加を表明している。

G20

 70年代に発足したG7(一時、G8)サミットに加え、中国・インド・ブラジルなどの有力新興国を加えたG20の会合が行われるようになった。

グローバリゼーション

 冷戦の終結やIT革命により、グローバリゼーションが進んだ。これにより、国際間の経済活動は活発化した。

 しかし、国際金融の発達により、土地や原料、株式投資などの投機的な動きも発生。08年9月のリーマンショックは世界中に影響を与えた。

 20年のコロナショックで国際間取引が一時縮小している。

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