前回の復習 1980年代後半のスペイン
1980年代後半、スペインとポルトガルは、ECに加盟。これにより、外資が流入し好景気になった。
今回は、このEC加盟を決定したスペインポルトガルの政治を見ていきます。
1980年代前半の国際情勢
日本は、昭和末期。中曽根首相の時代である。JR(国鉄)などの国有企業が民営化された。
軍事外交面では、ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけに新冷戦が勃発。米ソ冷戦は最終局面を迎えた。
経済では、レーガン大統領がレーガノミクスを発表。国有企業の民営化が進んだ時代である。これらの経済政策は新自由主義とよばれた。
スペイン、ゴンザレス社会労働党政権
82年総選挙で政権交代
スペインは、77年の民主化以降、民主中道連合が政権を担っていった。しかし、82年総選挙で、社会労働党が勝利。ゴンサレス社会労働党政権が成立した。
スペインの政治システム
スペインは、国王のいる立憲君主制の国である。スペインは、日本と同じ議院内閣制の国である。首相は、議会が推薦し国王が指名する。
スペイン議会は、二院制で、上院と下院が存在する。地方を重視する連邦制の国で、全て県単位で政治が行われる。下院は、県単位の比例代表で選挙が行われる。上院は、中選挙区制の選挙で選ばれた議員と県議会で選ばれた地方議員で構成される。
社会労働党とゴンサレス
社会労働党とは、労働者階級を支持母体とした左派政党である。
30年代のスペイン内戦中に非合法化され、ゴンサレス氏など党幹部は、亡命を余儀なくされた。
74年、ゴンサレス書記長が誕生。77年の総選挙で第2党に躍進。82年総選挙で第1党になり、ゴンサレス書記長は首相になった。
ゴンサレス首相は、雇用の確保を大事としながらも、経済成長を重視した。外資の獲得のため、NATOやECへの加盟を進めた。この時代は、レーガノミクスの時代で、新自由主義が進んだ時代であった。
ゴンザレス政権は、82年にNATOに加盟した。その背景には、ソ連のアフガニスタン侵攻をきっかけとした新冷戦がある。ちなみに、ポルトガルは、49年の発足時から加盟している。
ゴンサレス首相は経済成長に成功。90年代まで続く長期政権を築いた。しかし、バスク地方独立運動によるテロが頻発。このテロ対策に失敗し、96年総選挙で国民党に政権を譲った。
野党の国民党
国民党の前身は、民主化時に成立した国民同盟である。新国王カルロス1世は、スアロス氏を首相に任命した。国王カルロス1世とスアロス首相は、穏健派を中心に組閣を行った。
これにより、フランコ独裁時の政治家は、政権に入った穏健派と政権から外された強硬派に分けられた。穏健派は、民主中道連合を結成。強硬派は、国民党の前身である国民同盟を結成した。
ポルトガル、社会党政権
概要
ポルトガルは、74年にカーネーション革命で民主化。76年に現行憲法が施行。同年の総選挙で社会党のソアレス氏が政権に就いた。以後、左派の社会党と右派の社民党(社会民主党)の2大政党制が現在まで続いている。
ポルトガルの政治体制
ポルトガルは、国王のいない共和政の国である。直接選挙で選ばれる大統領と国会が指名する首相がいる。実際に政治を行うのは首相で、大統領はほぼ名誉職である。そのため、議院内閣制にちかい政治システムになっている。
国会は、一院制である。県単位の比例代表制で選挙が行われている。政治の安定のために小選挙区制の導入も検討されている。
社会党
社会党は、西ドイツに亡命していた社会主義者によって結成された。74年のカーネーション革命で帰国。臨時政府に参加した。76年に新憲法のもとで総選挙で勝利。ソアレス政権が成立した。
79年総選挙で、社会党が敗北。保守政党である民主同盟のカルネイロ氏が首相になった。これにより、急激な社会主義政策は是正された。
83年、カルネイロ首相が事故死。社会党と社民党の大連立政権が成立。
85年総選挙で、社会党は敗北。95年まで野党時代が続く。
社会民主党
社会民主党は、右派の政党である。カーネーション革命後の連立政権に参加した。
79年に、社会民主党など右派連合が民主同盟を結成。79年総選挙でソアレス首相率いる社会党に勝利。カルネイロ政権を樹立した。80年12月、カルネイロ首相が航空機事故で死亡。民主同盟は内部分裂。
83年、民主同盟は分裂。これにより、同年総選挙でソアレス社会党が第1党になった。しかし、社会党は過半数が取れず、第2党の社会民主党と大連立を成立した。
85年総選挙で、社民党が勝利。シルヴァ政権が成立。社会主義の是正やEC加盟で経済成長が続き、支持を集め、90年代まで続く長期政権が成立した。