前回の復習 3世紀のスペイン
3世紀のスペインは、ローマ帝国の属州であるヒスパニア出会った。この時代のローマ帝国はゲルマン民族やイラン(ササン朝)の侵攻に苦しんでいた。
今回は、ローマ帝国の全盛期にあたる五賢帝の時代を見ていきます。
2世紀の国際情勢
2世紀(101-200年)。日本は、弥生時代。世界は二大帝国の時代である。東の漢帝国と西のローマ帝国である。この2つの国はシルクロードで結ばれ、両国の間には交易で栄えた国が誕生した。
トラヤヌス帝
五賢帝の時代
1世紀末から2世紀末まで続いた5人のローマ皇帝の時代である。
その始まりは、高齢のローマ皇帝ネルファが勇敢な軍人トラヤヌス帝を指名したことに始まった。その特徴は、大きく2つある。1つ目は、ネルファと同様に次期皇帝を後継者として養子を取る。2つ目は、元老院と良好な関係を取っていたことである。そのため、次期皇帝は元老院に認められる必要があった。
皇帝トラヤヌス帝
トラヤヌス帝は、五賢帝時代の2番目の皇帝である。96年に即位し、117年までローマ帝国を統治した。
トラヤヌス帝は属州ヒスパニア出身である。次期皇帝になる前は軍人として活躍。おもにガリア遠征で名声を上げた。ゲルマニア総督の地位にあった。
皇帝に即位すると、軍事面では独裁を行う一方で、内政面では元老院に配慮した政治を行った。
01年、ドナウ川北部のダキア(現在のルーマニア)に侵攻した。06年にダキアを征服した。略奪と戦争奴隷の売却益は、ローマの整備に使われた。
14年、イランのパルティアがカフカス地方のアルメニアに侵攻。トラヤヌス帝はパルティアへ軍隊を送った。翌15年、句点シフォン(現在のバグダード)を征服した。17年、この遠征から、ローマへ凱旋する途中で急病で亡くなった。
後継皇帝は、トラヤヌス帝の従兄弟で、シリア総督のハドリアヌス帝であった。
皇帝ハドリアヌス帝
ハドリアヌス帝は、五賢帝時代の3番目の皇帝である。17年から38年まで統治した。前皇帝トラヤヌス帝の従兄弟で、同じ族集ヒスパニア出身の皇帝である。
ハドリアヌス帝は、軍人出身で、トラヤヌス帝の時代はシリア総督であった。
ハドリアヌス帝の最初の仕事は、パルティア(イラン)との和解である。ハドリアヌス帝は、戦で奪ったアルメニア(カフカス地方)とクテンシフォン(イラク)を返還し、和解した。
ハドリアヌス帝は、外征をやめて属州の経営に尽力した。イギリス(ブリタニア)では、ハドリアヌスの長城を建設。北方の異民族の侵入を防いだ。これが後のイングランドとスコットランドの境になった。シリアでは、ローマ風の都市建設を実施。これがユダヤ人の反感を買う。第2次ユダヤ戦争である。バルカン半島では、アドリアノーブルを建設。ギリシャでは、アテネの復興に努めた。
ただ、ハドリアヌス帝は後継者に恵まれなかった。ハドリアヌス帝は、有力な軍人を後継者に指名した。しかし、後継者は、早世。元老院議員のアントニヌスを指名した。
属州ヒスパニア
ヒスパニア
スペインは、ローマ帝国の属州であった。属州になったのは紀元前2世紀のことである。
スペインは、3つの属州になっていた。
属州とは
属州は、ローマ帝国が支配したイタリア以外の地域である。ローマから有力者を総督として派遣された。
2世紀の属州は、皇帝が統治する属州と元老院が統治する属州があった。平和な属州が元老院が統治し、反乱が多い地域は皇帝が統治した。スペインは、イタリアに近い南部は、元老院の統治とされ、西部と北部は、皇帝の統治とされた。