9・11から始まった「自由と安全の取引」――戦時下の隣組から現代日本のデジタル包囲網まで

ドリンクバーのコーヒーでも飲みながら、ちょっと昔と今の「監視」の話をしませんか。

9月11日と聞くと、やっぱり2001年のアメリカ同時多発テロ(9・11)を思い出しますよね。当時リアルタイムでテレビの映像を見て言葉を失った方も多いと思います。

実はこの事件、世界の軍事バランスだけでなく、私たちの「プライバシーと監視」のルールを根底からガラリと変えてしまった日でもありました。

あの日を境に、世界はどう変わり、そしていま私たちはどんな社会に生きているのか。世界史や日本史の教科書に出てくる出来事をおさらいしつつ、ビジネスパーソンの視点からフラットに眺めてみましょう。

1. 9・11の衝撃:人は「圧倒的な恐怖」の前で自由を差し出す

2001年のテロ直後、アメリカで何が起きたか覚えていますか? 事件からわずか1か月半という異例のスピードで成立したのが「米国愛国者法(USA PATRIOT Act)」でした。

これ、中身が凄まじかったんです。テロ対策のためなら、捜査機関が令状なしで個人の電話やメールなどの通信記録を傍受できたり、金融機関の口座や取引履歴をチェックできたりする権限が一気に拡大しました。

本来、近代民主主義国家(公民や倫理の教科書で習う「法の支配」や「基本的人権の尊重」ですね)からすれば、国家権力が個人のプライバシーにここまでズカズカ踏み込むのは大問題なはずです。

でも、当時の世論調査を見ると、アメリカ国民の圧倒的多数がこの法律を支持・容認しました。「テロで命を落とすくらいなら、メールや通話を見られたって構わない」「安全のためなら自由を差し出す」というわけです。

未曾有の危機の前に立つと、人間は自ら「監視されること」を受け入れてしまう。このトレードオフ(安全とプライバシーの天秤)が、21世紀の監視社会のスタート地点でした。

2. 世界史に見る「監視」の3つのスタイル

とはいえ、国家が人々を見張る仕組み自体は、大昔から形を変えて存在していました。高校の世界史を振り返ると、大きく3つのタイプに分かれます。

① 東側の「恐怖と密告」モデル(ソ連・東ドイツ・中国)

冷戦期のソ連のKGBや、東ドイツのシュタージ(国家保安省)が有名ですね。盗聴器を仕掛けるだけでなく、近所の人、会社の同僚、ときには家族すらも情報提供者に仕立て上げました。「誰も信じられない」という極限の疑心暗鬼を生むことで、反体制の芽を摘んだわけです。

現代の中国では、これが高度なAIや顔認証カメラ網(天網システム)、社会信用スコアへと進化しています。ただ、現地の人たちの声を聞くと、単に恐怖で縛られているだけでなく「街の治安が劇的に良くなった」「財布を持たずに顔パスで決済できて超便利」という合理的な受容の側面もあるのが複雑なところです。

② 欧米の「権利闘争」モデル

イギリスやアメリカなどの自由主義圏でも、実は街中に防犯カメラ(ロンドンのCCTVは有名です)が張り巡らされ、2013年にはエドワード・スノーデンの告発によって、米NSAが巨大な通信監視プログラム(PRISM)を動かしていたことがバレました。

ただ、欧米の特徴は「黙って従わない」こと。市民団体が激しい違憲訴訟を起こしたり、EUが個人情報保護の超強力なルール「GDPR(一般データ保護規則)」を作って国家や巨大テック企業にブレーキをかけたりと、常に「監視権力 vs 個人の権利」のせめぎ合いが起きています。

③ グローバルサウスの「実利優先」モデル

途上国ではまた事情が違います。例えばインドで導入された14億人規模の生体認証IDシステム「アドハー(Aadhaar)」。指紋や目の虹彩を登録する巨大データベースですが、これが普及した最大の理由は「それがないと銀行口座が作れないし、政府の福祉給付金が受け取れないから」です。プライバシーの議論以前に、生活インフラとして監視システムが生活に直結して受け入れられています。

3. 日本の近現代史:戦時下の「隣組」と現代の比較

さて、ここからが本題です。私たちの日本はどうでしょうか。

歴史を昭和初期の戦時体制まで巻き戻してみましょう。共通テストの日本史でも頻出のテーマです。

1925年に制定され、のちに最高刑が死刑にまで引き上げられた「治安維持法」。特高警察が共産主義者や体制批判者を容赦なく取り締まりました。これが「上からの監視」です。

しかし、当時の日本で本当に人々の行動を縛り上げたのは、国家の警察権力だけではありませんでした。1940年、近衛文麿内閣の「新体制運動」の中で制度化された「隣組(町内会組織)」です。

5〜10軒程度で組を作らせ、回覧板を回し、防空訓練を行い、そして何より生活物資の「配給」を隣組単位で管理させました。配給を握られている以上、隣組から外されたら生きていけません。

その結果どうなったか。憲兵がわざわざ見張りに来なくても、「お隣の奥さん、最近ぜいたく品を着ていた」「あの家の主人は酒の席で戦争の愚痴を言っていた」と、市民同士が自発的に見張り合い、「非国民」と糾弾し合うシステムが完成したのです。国家が強制する以上に、民間同士の「横からの同調圧力」が強力な監視網として機能しました。

4. そして現代日本へ:デジタルで蘇る「空気の網」

この「戦時下の日本」の構造、どこか今の私たちの日常と重なる部分はありませんか?

いまの日本を見渡すと、街頭の防犯カメラ、高速道路のNシステム(自動車ナンバー読取装置)、マイナンバーカード、スマホのGPS位置情報など、インフラとしての監視網はかつての戦時中や全体主義国家をはるかに凌駕するレベルで整っています。

でも、私たちはそれに恐怖を感じて暮らしているでしょうか? おそらく多くの人は、

「おかげで夜道も安全に歩けるし」

「落とした財布が高確率で戻ってくる国だし」

「やましいことが何もないなら、別にカメラに映っていても困らない」

と、極めてポジティブ、あるいは自然に受け入れているはずです。

一方で、ネットやSNS空間に目を向けると、別の光景が広がっています。

コロナ禍のときに起きた「自粛警察」や「マスク警察」を覚えているでしょうか。法的な罰則がなくても、「みんなが我慢しているのにルールを守らない奴」を見つけ出し、ネットで個人情報を特定して晒し上げる。あるいは企業の不祥事やインフルエンサーの失言を、正義感から徹底的に糾弾する。

これって、姿形は最先端のデジタル社会ですが、心理的なメカニズムは「戦時下の隣組」そのものですよね。国家に「監視しろ」と命令されたわけでもないのに、社会の「空気」を乱す者を市民自らがパトロールし、制裁を加える。

欧米のように「国家権力と裁判で戦う」わけでもなく、東側のように「秘密警察に怯える」わけでもない。

「安全と便利さのために技術を受け入れ、秩序を乱すものは横の同調圧力で自発的に排除する」――これこそが、日本型監視社会のユニークでリアルな姿なのかもしれません。

おわりに:私たちは何を差し出し、何を得ているのか

監視カメラのおかげで凶悪事件の解決スピードは劇的に上がりましたし、位置情報や検索履歴をスマホに渡しているからこそ、見知らぬ土地でも迷わず目的地に行けて、欲しい情報がワンタップで手に入ります。ビジネスにおいても、顧客データのトラッキングや行動分析なしにはマーケティングが成り立たない時代です。

監視システムそのものを「悪」と決めつけるのは簡単ですが、私たちはその恩恵(治安、秩序、圧倒的な利便性)を毎日たっぷりと享受しています。

ただ、9・11から四半世紀が経とうとする今、たまには立ち止まって考えてみても損はないはずです。

私たちは「安全と便利さ」と引き換えに、何を差し出しているのか。

そして、画面の向こうの誰かを「監視」しているのは、国家のシステムなのか、それとも私たち自身の正義感と同調圧力なのか。

次に街中の防犯カメラを見上げたり、スマホで「位置情報の利用を許可しますか?」のポップアップを見たりしたとき、歴史のそんな流れをふと思い出してもらえたら幸いです。

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