11世紀の東南アジア ベトナムの独立

復習 12世紀の東南アジア

 12世紀の東南アジアは、カンボジアの時代である。アンコール朝の全盛期。アンコールワットが建設されたのもこの時代である。カンボジアの拡大は、南ベトナム(チャンバー)、ミャンマー(パガン朝)やマレーシア(シャイレーンドラ朝)に影響を与えた。

11世紀の国際情勢

 11世紀初頭は、摂関政治の全盛期である。しかし、11世紀後半に入ると摂関家(藤原氏)が衰退。院政が始まる。武士が台頭し始めるのもこの時代である。

 東アジアでは金王朝と宋王朝(南宋)の南北朝時代に入る。ヨーロッパでは十字軍遠征が行われる。

ベトナムの独立

李朝の成立

 北ベトナムは、長期にわたり中国王朝の支配下にあった。9世紀半ばに中国王朝から独立した。当初は短命政権が続いたが、10世紀半ばにハノイに都をもつ李氏が統一。李朝が成立した。

李朝とは

 李朝は、北ベトナム最初の長期王朝である。11世紀初頭に成立。11世紀半ばにベトナム北部を統一。都をハノイにおいた。

 10世紀に成立した宋王朝と対等外交を行う。宋王朝の文化が大きく反映された。その一例が科挙である。

五胡十六国の戦乱期

中国支配下のベトナム

11世紀の半島部

カンボジアvs南ベトナム

 アンコール朝は、9世紀に成立したカンボジアの王朝である。12世紀にスールヤヴァルマン2世の時代に全盛期を迎える。

ミャンマー

 ミャンマーでは、11世紀なかばに最初の王朝パガン朝が成立した。上座部仏教を信仰。多くの寺院が建設された。

 11世紀末から12世紀にかけて、パガン朝の全盛期に入る。

11世紀の諸島部

マレーシア 南インドの侵攻

 スマトラ島とマレーシアは、シュリーヴィジャヤ王国が治めていた。

 11世紀、南インドのチョーラ朝が侵攻。シュリーヴィジャヤ王国は衰退。これにより、都をスマトラ島南部のバレンバンから北方のジャンピーマラユに移す。

ジャワ島

 ジャワ島は、クディリ王国が成立した。